(続き)
杜氏も私も必死で説得しました。詳しくは書きませんが、確かに理由はいくつかあったようでした。しかし、その全てが身勝手で納得のいかないものでした。仮にも杜氏を引き受けようとする責任感や度量の持ち主の言葉ではありませんでした。
悪いことに、その日は社長が出張で留守の夜でした。連絡もとれず、そのうちに息子さんが迎えに来てしまって、ほとほと困ってしまいました。たぶん社長のいない日を選んでいたのでしょう。
私は説得をあきらめました。というか、造りが始まってしまっているこんな時になって、しっぽを巻いて逃げ帰るようなことをする人に杜氏なんてできるわけはない。今ここで出ていってもらった方が会社のためだと思ったのです。口では何とか思い留まってくれと言いながらも、頭の中では杜氏不在の酒造りをどうしたらよいのか、妙に冷静に考えていたことを覚えています。
そして、私は初めて社長の決裁なしに会社の重大決定を下しました。
「分かりました。お酒は僕らで造ります。お帰り下さい。」
自分が杜氏になるんだ・・・決心した瞬間でした。
その年は大変でした。前杜氏は一度新潟へ帰り、きちんとした準備をしなおして、私が後を継ぐという前提で最後の勤めをしてくれました。私も学べることは全て学ぶつもりで、必死で彼の職人技を習得しようと心がけました。大学で醸造学を学んだわけではない私の造り方は、全て前杜氏に教わったものです。それしか知りません。
しかし、生き物と対話していかなくてはならない酒造りは、多分に経験工学的な部分が多くて、習うより慣れろです。今風に言えばOJTということでしょうか。それまで8年間の下働きでは杜氏としては役不足でした。それでも何でも、とにかく次の年から私は杜氏役をやらなくてはならなくなったのです。
造りが終わって、前杜氏を新潟まで送っていった時に、奥さんが「この人に何かあったらと思うと心配で心配で・・・」と涙を浮かべて私に訴えました。もうこの杜氏を呼ぶことはできない。私は改めてその事実を認識したのです。
こうして、専務取締役・杜氏のいっちょ出来上がりとなりました。自分にとっても、会社にとってもこれは大冒険だったと思います。
(続く)