
さて、蔵開放の前回の続きです。このシリーズ案外長くなるんじゃないかなぁ。
はい、皆さんは今蔵人の休憩所を出て造り蔵の前にいます。これがわが社で清酒を製造するメイン工場になります。この蔵は大正9年に建てられました。酒造株式会社長生社の歴史もその時からですね。設立当時、加茂鶴酒造の指導を受け、その5号蔵を参考に建設されました。そこから「鶴」の一文字をもらい「信濃鶴」と命名されたと言われています。
考えれば信州に鶴なんて飛来しないだろうから、変な名前ではあるんですよね。ついでに言うと、「酒造株式会社長生社」というのも変な社名じゃないですか。「株式会社」が名前の真ん中に入っているんだから。普通は頭かお尻につきますよね。ご先祖様はどうもヘソ曲がりだったようです(笑)。
大きさは20間×6間(36.0m×10.8m)の総2階で、かなり細長い格好です。建てた時には一際目をひく大きな建物だったんじゃないでしょうかね。今でも屋根の上に登ると駒ヶ根を一望できますよ。当時駒ヶ根で一番っていうくらい勢いのあった企業だったと思いますね。往時の活気をもう一度取り戻したいもんです。
この大きさの蔵で昔は2千石(一升瓶換算で20万本)の製造能力だったそうです。設立メンバーは将来的には1万石の製造を目指していて、この蔵が5個入る分の大きさの敷地を買収したと聞きました。そしてそれを鉄道に乗せて日本中に売るために、貨物車の引込み線を敷地内に入れるように、わざわざ線路沿いの場所を選んだんだとか。ご先祖様はかなりの野心家でもありました(笑)。
しっかりとした土蔵になっていて、壁は約15cmの厚さの土壁になっています。目の前にある右側の白い蔵の扉も土が付いていてかなり重いです。朝晩に開け閉めするのですが、足を踏ん張って肩で押すくらいでないと、なかなか開けられませんよ。
屋根にまで土が乗っていて、保温や湿度の調節に役立っています。しかし既に90年近く経っているために、屋根の板の隙間から、上に乗っている土がポロポロ落ちてきてしまって、2階の床はしょっちゅう掃除をしていないと、土ぼこりというか細かい土の塊がそこら中にばら撒かれてしまいます。夏の間この蔵を使わない時期に、久しぶりに2階へなんか上がる場合には、掃除機をかけながら進むくらいでないと、土の塊を踏みつけて床を汚して大変です。
最後に蔵の扉の左側を見てください。こちらは簡単に開閉が出来る軽い内扉ですが、扉を開けておく必要がないときには、この内扉の左下にある小さな扉を開けて蔵に出入りします。頭を下げてかがまないと入れません。何でこんなに小さく作ってあるんでしょうねぇ。
「どんな偉い人も頭を下げて蔵に入るのよ」
前の杜氏が私に教えてくれました。嘘か本当か、そんな言い伝えになっています。
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麹の洗米水吸わなかった。おかしいなぁ。菌糸が食い込まないで弱い麹になっちまうぞ。
今日は引き込みなし。棚にある麹は量が少ないから温度来るのが遅い。手入れも遅い。早く寝たいのに。
最後の酒母はいつでも使用可能。準備万端。
1号もろみは成分的にはゴールに近づいてきた。さあていつ搾ろうか。
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今まで何かで2番や3番になったことなんかないんですよ。