専務取締役杜氏の純米酒ブログ

期せずして杜氏になっちまった造り酒屋後継ぎの純米蔵奮闘記

ガチ

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まーったくもってウルサイんである。こんなに、ベラベラベラベラベラベラベラベラ父親に話しかける高校生の娘も、そうそうはいないんじゃないかと思うんである。こっちが新聞を読んでいようが、ニュースを見ていようが、泥酔していようがお構いなしに話題を吹っかけてきて、シカトを決め込めば「スルーかよ、オイ」くらい言って凹みもしないのである。

『家ではオヤジと口もきかないのが中学高校生』っていうのが私のイメージなんです。特に、女の子なんて父親のことなんて毛嫌いしていて、洗濯物だって一緒に洗わせないし、お風呂には先に入れないし、「おはよう」も「おかえりなさい」も言ってくれない・・・と、ここまで書くとちょっと過ぎるかもしれませんけどね(汗)。

ところが、我が家の娘ときたらしゃべり出したら止まらないっていう感じになって、私や女房のことを「あんた」とか言い放つもんだから、時々女房には叱られてます。ひとりっ子で育っちゃったこともあって、家の中での力関係が大人と同等だと思い込んで、事あるごとに友達か兄弟みたいな感覚でしゃべりかけてくるんでしょう。

そんでもって、会話の中で異様に気にかかるのが「ガチで?」というフレーズ。何でもかんでも、相槌がこの「ガチで?」っていうくらいに聞こえるんですよね。「それ本当?」とか、「えっ、そうなの?」とか、「へー!」とか、「ウッソー!」とか、「本気で?」とか何とでも言い様がありそうな場面を、全て「ガチで?」で済ましてんですよね(汗)。

私達の若かった時だったら「マジで?」っていう表現に近いと思うんですけど、今から考えれば、私の両親も、私と友達との会話の中で「マジで?」「マジで?」と連発していたあの言葉は耳障りだったのかもしれませんね。あの時と同じような感覚なんでしょうが、「ガチで?」なんて日本全国共通語(?)になってるんでしょうか?

ま、高校時代の青春を見事に満喫しているように見える愛娘です。部活動が命で日曜日もありませんし、ファッションにばかり夢中になっているようで、私としては気がもめて仕方がありませんが、今のところ私の現役時代よりはまともな成績を取ってきますから、多少気に食わないことにも耳を塞いでいるところです。

きっと、お父ちゃんのことが大好きなんでしょう。あれだけ可愛がって育てたんだから、私としてもそうでなくっちゃ困ります。そういう気持ちを大切にして、勉強なんて二の次でいいから、他人に対する思いやりのある人間に育ってもらいたいもんです。その発露と言えばいいのかどうか、以前にこんな手紙をもらいました・・・

『ガチで、頭が禿げてもキライにならないから!』

・・・うーむ。


□□□ 実話だっせ(笑笑笑) □□□
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グーグルドライブ

困った困った・・・緊急事態発生でここ数日難儀してます・・・。よくある話なんですけど、パソコンの調子がおかしくなっちゃって、修復しているって言うか、訳も分からずにいじくり回しているって言うか、とにかく元の状態にさえ戻ってくれればいいんだけど、いったん入り込むとコンピュータの迷宮からはなかなか抜け出られないんですよねぇ(涙)。

携帯をスマホに変えてからというもの、それまで以上に利用頻度の高くなったグーグルのサービスなんですけど、あれだけいろんなことを無料で提供するっていうこと事態、ちょっと信じ難いくらいで、現在のパソコン環境の便利さと、その裏に潜むちょっと得体の知れない怖さを感じながらも、日々利用させていただいているんです。

そのひとつにグーグル・ドライブっていうのがあります。これは、今流行りのクラウド型のサービスですが、グーグルさんのサーバーに自分のデータをアップロードしておくと、世界中どこにいてもそのデータにアクセスできるっていう優れものです。使っているパソコンが壊れても、クラウドの中にデータが残っているっていうのもいいところですね。

この手のサービスのパイオニアはドロップボックスっていうヤツが有名ですが、それを使おうと思っていた矢先にグーグルさんでも同じことをやるっていうんでしばらく待ってたんですけど、この春ごろから運用が開始になって、私も数ヶ月前から便利に使わせていただいてたんですけどね・・・。

ハイ、もうお分かりですね(笑)。このサービスが数日前からうまく機能しなくなっちゃって、日々の業務に支障が出るっていうわけじゃないんですけど、何にも悪さしてないのにどーして機能不全に陥るんだか訳分かんない状態です(汗)。どうやら、別のソフトが自動で立ち上がったような時に、機能が停止しちゃうみたいなんですけど・・・。

幸いなことに、1週間ほど前にパソコンのシステムバックアップをしてあったもんだから、必要な処置をしておいてから、パソコンを丸ごとその時の状態に戻すっていう荒療治をやってみたんですけど、これがまたえっれー時間がかかって大変なんです(汗)。それほど高性能のパソコンっていうわけでもありませんから、仕方がないんですけどね。

っていうことで、今現在メインパソコンは時空を漂って不安定な状態にありますから、今日のブログは急遽別のパソコンで打ってます。久しぶりに使うもんだから、こっちのパソコンも本調子じゃなくって、この原稿もしばらく打ち込んだところでハングして書き直してたりします・・・不幸が重なる時は、こんなもんなんでしょうねぇ(汗)。

メインパソコンの様子も見ながら書いてますが、どうやらあんなに時間をかけて修復を試みたのに、やっぱりグーグル・ドライブはうまく動いてくれないみたいです(涙)。ネット上で情報を探してみるんだけど、同じような症状は出てこないんですよねぇ。せっかくのサービスが使えなくなって残念ですが、しばらく様子見ってところかな・・・。


□□□ 可哀想な岳志に愛のクリックを! □□□
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収穫

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写真は収穫直前の美山錦の田んぼの様子ですが、既に伊那谷の美山錦はほとんど収穫が終わった段階になっているはずです。飯米は今が刈り取りの真っ最中で、大きなコンバインをそこらじゅうで見かけます。もう少しすれば、全ての田んぼがまっさら状態になって、今年の米作りも終焉を迎えるでしょう。

早生(わせ)の部類に入る美山錦ですが、刈り取りが終わっても乾燥やモミすりや検査の工程がありますし、それに加えて各JAさんの諸般の事情があって、すぐに出荷できるわけじゃないんですよね。特に飯島町の美山錦に関しては、そのスパンが他に比べてちょっと長いもんだから、最初の仕込に間に合わないっていう悲しい事態に毎年陥るんです(汗)。

ギリギリまで待ってはいるものの、仕込計画をずらすわけにもいかず、どうしても間に合わなくて最初のちょびっとだけ県内の安曇野産の美山錦を使うことになるんですけど、本当だったら完全に100%飯島産って言いたいんですよね。そのちょびっとに実に悔しい思いをしている、毎年の造り始めだったりします。

ところが、最近は、私たち酒造メーカーも地元のJAさんと密に連絡がとれるようになって、そういう私の切なる願いをJAの担当の皆さんにもお話しする機会をいただけるようになりました。JAさんだって、そういう要望があれば聞いてやりたいっていう気持ちになってくれるわけで、そのための努力を約束してくれてたんです。

そして、今年は何とか飯島産を間に合わせようと、JAさんと県の酒造組合が動き始めてくれていて、上手くいけば仕込を始める前に飯島産の美山錦を入荷することができるかもしれません。組合の担当者も、毎年私がヤキモキしているのを知ってますから、何とかしてやろうと思ってくれているはずです(笑)。

詳しくはお話しませんが、美山錦全体の仕上がりを待っていると間に合わなくなっちゃいますから、ごく一部の特別なものを前倒しで出荷するような方法をとってもらってます。全くの個別契約で、JAさんを通さないようなやり方もあるんですけど、筋を通す信濃鶴としては、従来通りのやり方の中での方策を考えてるわけです(笑)。

JAさんからの出荷が間に合っても、今度は組合の精米工場で予定通りに流せない事態も考えられます。精米だって工場に入ってから1週間くらいは期間を見なくっちゃなりませんし、精米後はしばらく枯らし期間を取って水分調整させなくっちゃなりません。こちらの計画通りに入荷できるかどうかは、まだまだ未定っていうところですね(汗)。

つまり、稲を刈り取ってから、精米された白米が蔵に入ってくるまでには幾多の関門があるっていうことです。蔵に精米機でもあればまた事情は変わってくると思いますが、何とか今のシステムの中で間に合わせたいと願っています。毎年、それほど心配しないでもいい状況になってくれると嬉しいんですけどね。


□□□ bossが順位を上げてきましたね □□□
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県品評会

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先週のことになっちゃうんですけど、長野県の清酒品評会の表彰式がありました。今頃こんなことを記事にしてるんだからお分かりでしょうけど、信濃鶴は金賞はいただけませんでしたね(涙)。ここのところ、この手の賞状には無縁になっちゃってますが、もらえるものならもらいたいのが本心ですから、「取れなくてもいいやー」とか思ってるわけじゃありません(笑)。

鶴が純米酒規格で、使っているお米も地元産の美山錦だから金賞が取りにくいっていう言い訳も、最近は通用しなくなってきてるんですよ。どういうことかって言うと、山田錦じゃない地元の酒米を使って、アル添をせずに造った純米酒で金賞を取っているお蔵さんが出てきてるんですよね。現に今回の品評会でも、20蔵の金賞の内の2蔵が純米酒での受賞でした。

これはとても喜ぶべき結果で、そのうちに「純米酒でなくっちゃ金賞が取れない」なんていうことになってくれると、私としても長年の挑戦のし甲斐があったと思えるかもしれません。そこまで長野県の純米酒のレベルが上がってくれば、県産酒の認知度が全国で上がってくることだって期待できると考えてるんですけどね。

しかししかししかし、自分自身で金賞に手が届いてないんだから、偉そうなこたぁ言えません(涙)。まだまだ改良の余地がある我が社の酒造りですが、特に品評会向けの純米大吟醸に関しては、対処しなくっちゃならない壁が高く立ちはだかっている気がします。更なる探究を続けて、純米酒の良さをしっかりとアピールできる香味を実現しなくっちゃなりません。

それでもそれでもそれでも、狙った方向には行ってんですよね、これが。こういう造り方をすればこういう向きの酒質になるはずだっていう、大枠の路線は外れなくなってきてますね。それがコンテスト向きであるか否かはまた別問題ですが、もしかしたら規格外のどこかに何か宝物が埋まっているかもしれません。

こっちに進んでみたらどうなるかっていう探検は、実際に自分でやってみないと到達点が分からないわけで、時として際どいルートも通らなくっちゃなりません。普通、杜氏さん方はあまり無謀な実験はできないでしょうが、蔵元杜氏ゆえの羽目の外し方ができるっていうことはちょっとした強みになるはずです。ま、失敗したら何にもならないんですけどね(笑)。

っていうことで、それなりに納得しつつも、まだまだ先の見えない道のりに落ち込み気味の結果って言えばいいかな。でも、酒造りにゴールなんてあるわけないんですから、そこへの挑戦をこれからも楽しみたいもんです。今年の造りはどんなことやってみようかと思う半面、たまには金賞も取ってみたいっていう色気もあって、悩みの多きお年頃です(笑)。

写真は、本文と全く関係ない浅草寺の山門。先日浅草に行った時のものですが、仏様に今年の酒造りの安全をお願いしてきました。いつもよりお賽銭を多くして、もしよかったら金賞もくださいってお祈りしときましたよ(笑)。


□□□ 2位定着パターンですね □□□
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どじょう鍋

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長い長い東北シリーズブログを書いていた間にも、通常の業務は駒ケ根で粛々と行われていたわけで、本当だったら記事にしなくっちゃならない出来事だってあったはずなんですけど、とりあえずそこはスルーして(笑)、一息つくためにも、ここは一発、東京ネタなんていうのはいかがでしょう。でも、これは毎年の話題で、常連読者の皆さんには聞き飽きた内容なんですけどね(汗)。

写真はちょっとグロいんですけど、これは毎年一回、女房と二人で浅草で食べているどじょう鍋です。もう25年くらい前から通っている『どぜう飯田屋』さんに、今年も行くことができました。造りが始まる前にはもう無理かもしれないなんて思ってたんですけど、先日の秋分の日の連休に、家族で女房の実家に行った時に立ち寄ることができました。

今からさかのぼること四半世紀も前・・・って自分で書いておいてなんですが、もうそんなになるんですねぇ・・・歳とるわけだよ(涙)・・・に、女房に連れて行ってもらって以来の、たとえ年に1回とは言え、常連と言えるんじゃないですかね。もしかしたら、顔を覚えてくれている仲居さんもいるかもしれないと思うくらい(笑)。

飯田屋さんにはいろんなどじょう料理があるんですけど、私はこのどじょう鍋をメインにして、3人前くらいいただきます。どじょうの入った小鍋の上に山盛りに刻みネギをのせて、出汁が煮え立ってきたら一緒に頬張るんです。出汁とネギとどじょう臭さが実によく合って、どんどんとお酒が進みますね。女房のダメ出しが出るまでですが・・・(涙)。

今回は、私達より先に入っていた、それこそ地元の常連らしい老夫婦が「どじょうどんぶりおくれ」って注文してるのを聞いて、はじめてどじょう丼なるものも食べてみましたが、これも美味しかったですね。そういえば、浦里酒造のU社長が飯田屋に行ったら絶対食べろって言っていた料理に挑戦し忘れました(汗)。まぁ、そりゃまた来年トライしましょう。

娘はおばあちゃんに押し付けて、今年も2人で浅草デートできて良かったです。娘も食べてみたい気持ちはあるみたいですが、お値段が張りますから、何だかんだ言って一緒に行くのを思い留まらせてます(笑)。もし連れて行くとしたら、お父ちゃんと2人だけでっていう条件を飲んだらっていうことにしようと企んでますが・・・。

女房の実家は埼玉県の川口市で、最寄りの駅から浅草までのアクセスがいいのも好都合なんですけど、今回感じたのは東京スカイツリーの威力ですね。東武伊勢崎線の『業平橋(なりひらばし)』っていう由緒ある名前を改めて『とうきょうスカイツリー駅』にしたのはチト残念ではあれ、その駅で乗降する観光客と思われるお客さんの多いこと。

浅草駅に到着すると、連休中であることを考慮しても、やっぱり以前と比べてお客さんの数がかなり増えている気がしました。スカイツリーの集客力は、あの界隈の様相を一変させたのかもしれません。ツリー自身が観光スポットではあるんでしょうけど、周辺への影響も相当なものなんじゃないですかね。

実質滞在期間約1日っていうとんぼ返りですから、大したことはできませんでしたし、実家のそばにある鶴を扱っていただいている酒販店さんへも顔が出せずに残念でしたが、とりあえず年間スケジュールはこなせた気分ではありますね。来年のどじょう鍋を楽しみに、今年の冬への心構えがちょっとできたってところでしょうか。


□□□ 開店時間と同時に一杯になってました □□□
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まとめ



あまりに東北ブログが長くなり過ぎましたから、何か最後にまとめておかないと、私としても落ち着かなくなっちゃいました(笑)。今回のシリーズは、仙台での楽しい話題を除いては、ちょっとブログを書くのが気が重い内容が多くて、私としてもようやく書き上げたっていう感じなんです。ホッとしたっていうか、肩の荷が下りた気がしてます。

私なんかがこんなところで多少の文章をしたためても、それ程多くの人に読んでもらえるわけじゃありません。ましてや、かなり私的なことも含まれてますから、そんなことまで書く必要があるのか疑問でもありますが、あちらの現状を見て、少しでも今の様子をお伝えすることができればと頑張って書いたような次第です。

第三者の私が物知り顔で記事にして、現地の方に不快な思いをさせるんじゃないかという危惧もありましたが、それよりも何よりも、実際に目の当たりにした被災地の様子は、多少なりとも人に読んでもらえる媒体を持っている身としては、どうしても書いておかなくっちゃならないと思わせるほどの、圧倒的なリアリティを私に突き付けてきたっていうのが実際のところです。

この2週間ほどのブログの内容をご覧になればお分かりのように、ほとんどが震災に多少なりとも関係した話になってます。これは、意図してそうしたわけじゃなくって、そうなっちゃったっていうのが実際のところです。現に、東北営業に回っている間に私がいろんな方とお話をした8割がたは地震、津波、原発事故の話題でした。

遠い所から来た私に対してそういう話になるのは当然かもしれませんが、私の目に入るものも、私と関係なく耳に入ってくることもやっぱりまだまだそういう内容が多かったですね。ですから、あの一連の大惨事に関しては、現地はいまだに被災中っていう印象であって、苦労して生活なさっている方々が多いのが実情だと思います。

シリーズ最後の写真は、大きな話題になった、陸前高田の松原の中に唯一残った『奇跡の一本松』です。陸前高田へ友人の墓参りをしに行った時に撮ったものですが、翌日保存のために切り倒されるっていうことで多くの見物人がいました。この日は天気も良くて、近くまでは入れてもらえませんでしたが、とてもきれいに青空に映えてましたね。どうやら、この辺は以前あった松原の一番端くらいの場所で、目の前の崩れたホテルの建物のおかげで倒れるのを免れたみたいです。

ただし、この一本松の保存についても、億単位のお金がかかるのならそれを復興に回してほしいっていう要望もあるようで、行政のかじ取りには難しいものがあるでしょう。仮設住宅の整備についても、それ程充実させてくれなくてもいいから、その分のお金をもっと未来に生きる形で使ってほしいっていうような意見も聞きました。

「ここまで全てがなくなると、もうあとは笑うしかないですよ」とは、今回大変なお世話になったOさんの言葉です。多くの人命と財産を奪ってしまった大災害でしたが、一本の松に奇跡を見いだせるのであれば、未来への希望までは流されていないはずです。震災後一年半にしてようやくこの事実に対して現実感を持ったお恥ずかしいばかりの私ですが、今後ともみんなの問題として被災地に思いを寄せていきたいと思っています。


□□□ シリーズ中に言葉の足りない部分があったらお許しくださいね □□□
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被災地

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そろそろ東北営業シリーズもネタが底をついてきました(笑)。本当にいろいろなことがあって、まだまだここに書いておきたい話もあるんですけど、あんまり蔵元ブログから脱線しててもいけませんから、今日は残りの写真をご覧いただいちゃいましょう。これらは、全て気仙沼と陸前高田で撮影したものです。本当の迫力は現場に行かないとお分かりいただけないと思いますが、画像をクリックして大きな原画で見てみて下さいね。

【1枚目】気仙沼駅に到着。この辺には大きな被害の痕は見られませんでした。折しも、この日は震災から一年半の節目の日。ボランティア関係と思われるグループや、地元の方には見えない乗客も乗ってました。観光目的で遊びに行ける雰囲気じゃありませんでしたね。ここから先の海岸沿いを走る線路は壊滅状態で、Oさんに迎えに来てもらいました。

【2枚目】気仙沼漁港の市場は再開されてはいますが、建物の被害も生々しくて、水揚げ量は以前の半分にも達していないそうです。この日の朝、仙台のホテルからの出がけに見たニュースで、ちょうどこの市場から生中継をしていて、そんなことを言ってました。冷蔵設備の再建が遅れちゃってるんだそうで、漁師さん達もやりたくても仕事ができずに困っておられるようですね。

【3枚目】海沿いに残る、津波の被害を受けた鉄筋の建物。右奥に見えるのは新しく建てられた倉庫で、それ以外にはまともな建物はありませんでした。本当に海岸の近くにあったものは、たとえ鉄筋コンクリート製でもこれほど無残に壊されてしまうんですね。崩れ落ちたコンクリートは片付けられてるようでしたが、こんな風に何かのモニュメントのように一部分だけ残ったようなビルが散見されました。

【4枚目】これも海沿いに残った、海産物の加工場だった建物。津波の被害の後、気仙沼は大きな火災に見舞われました。その際に燃えた残りだそうです。今でも取り壊されることなく、芸術作品的にその姿をさらしていました。1年半も経つのに、まだ解体できないのには何か理由があるのかもしれませんが、正にあの日のままの姿を見る思いでした。

【5枚目】ここは、以前JR気仙沼線の線路が通っていたラインです。鉄道としての復旧の見込みが立たないっていうことで、線路だった部分を道路にして、以前の代替路線としてバスを走らせるために使う計画だそうです。しかし、その計画も思うにまかせなくて、ほんの一部分だけが道路化されているだけだそうです。ここは、一般の自動車は走れないようになっていました。

【6枚目】ちょっと遠くて分かりにくいと思いますが、陸前高田の以前の町なかにうず高く積み上げられた瓦礫の山。私自身もその山の上にいます。このアングルだと実感できないでしょうけど、すごく大きな山なんですよ。木材、鉄骨、コンクリートくらいに分別されているようでしたが、廃棄物の処理もうまく進んでいないようですね。放射線への懸念があるのかもしれませんが、こういう山がそこらじゅうにあるんですから、他の自治体に受け入れてもらわないととても無理なんじゃないかと思われました。

【7枚目】この写真は再掲になりますが、以前の陸前高田の市庁舎です。遠くから見ると、きれいなままで残っているように見えるんですけど、近づくにつれ、窓ガラスが全て割れていることや、瓦礫がそのまま中に残っていることが分かりました。建物自体が津波で揺らぐことはなくても、中身は全て波にさらわれてしまうんですね。

【8枚目】その市庁舎の近景です。この写真からは分かりませんが、建物の中の部屋をのぞくと、あの時のままの状態で瓦礫が残っています。津波の力でねじ曲がって原形をとどめていない自動車が、1階部分に入り込んでました。あまり写真をパチパチ撮ることも気が引ける、そんな光景でしたね。

【9枚目】最後に1枚、ホッとする写真を。これは、Oさんの仮設住宅に泊めていただいた時に部屋の中に置いてあった、Oさんの息子さんの図工の作品。『カメをおそうヘビ』という名前が付いていました。この作品で彼が何を言いたかったのかは不明ですが、とても自由な発想でニッコリさせられました。Oさんご夫妻の性格を受け継いで、実に素直ないいお子さんたちでしたよ。子供がいるから親は頑張れるんでしょうし、地元の未来を子供たちに託すためにも、一刻も早い復興が望まれます。


□□□ 長文ブログで申し訳ありません(汗) □□□
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磐城寿

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皆さんは『磐城寿(いわきことぶき)』というお酒をご存知でしょうか。株式会社鈴木酒造店さんがお造りになっている銘柄です。日本酒に少し詳しい方々にはよく知られた話になっていますが、先の震災の時に福島県の浪江町の海岸沿いにあった蔵は全て流されてしまって、その後は原発事故の影響で元の場所にも帰れなくなり、現在は山形県の長井市に移って、新たな酒造りを始められているお蔵さんです。

私は東京でのお酒の会なんかで、専務(かな?)のSさんとは何回かお会いしたことがあったんですよね。しっかりと味の乗った、それでいてまろやかさの感じられる、正に漁師の酒っていう感じのじんわりと美味しいお酒でした。震災直後の報道で聞いて、非常に心配はしていましたが、人的な被害はなかったそうでホッとした記憶があります。

全く何もなくなってしまった鈴木酒造店さんでしたが、時を経ずして蔵の再建に取り掛かって、廃業の決まっていた長井市の蔵を買い取る形で再びお酒造りを始められました。私も、東京の酒販店さんの店頭に磐城寿が並ぶようになって、その年のうちに新しいお酒ができてくるなんて、本当に頑張っておられるんだなぁとビックリしたもんです。

実は、この新しく再建した蔵が、若乃井さんの蔵のすぐそばにあるんですよね。ですから、仙台から若乃井のOさんに山形まで車に乗せてもらった時に、「S君のところに顔を出してみようか?」っていう話になって、ノーアポで突撃蔵見学を試みるという、実に迷惑な行動に出たような次第で、大バカ者の信濃鶴・若乃井コンビだったりします(汗)。

その日はSさんはおられなかったんですけど、仕込を一緒にしているS弟さんが蔵を案内してくれました。Oさんも蔵の中は初めて見るっていうことで、二人で興味深く見学させていただきましたよ。この蔵の一番の特徴は、完全に冷蔵庫化されているっていうことでしょう。上の写真でも分かりますが、元あった蔵の中にデッカイ冷蔵庫を入れ込んだような形になっていて、年間を通しての醸造が可能になっているそうです。

しかし、醸造に使える空間は確実に狭くなっているわけで、仕込タンクも大きいものが使えませんから、一本の仕込は小さくせざるを得なくて、その分仕込本数を増やして対応しているとのこと。製造数量は信濃鶴と同じくらいですから、仕込期間が長くなって大変なんじゃないですかね。逆に、品質の高いお酒を小仕込みでっていう目的で、年間使えるような蔵の設備にしたっていう面もあるとは思うんですけどね。

こういう話だけ聞けば不屈の闘志の物語ですが、実際には大変なことだって多いはずです。例えば、震災復興の補助金なり貸付金利の優遇措置なんかの制度は、県境を越えると対象から外れちゃうんだそうで、福島県から山形県に来た鈴木酒造店さんには適応されないそうです。原発事故の補償も、津波で全てが流された後に事故が起きたっていう時系列ですから、大した額にはならないとか。なんとか、もっと大きなくくりで手が差し伸べられないんでしょうかねぇ・・・。

それでも、全国の酒造メーカーからの救援も受けて、設備的には順調に稼働しているとおっしゃってましたから、復活の日はもうそこまで来ているっていうところでしょう。頼もしい兄弟二人で醸す酒は、これまで以上に美味しい仕上がりになるに違いありません。信濃鶴も負けちゃいられないと、胸に刻んだ蔵見学でした。


□□□ お忙しいところをありがとうございました! □□□
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蕎麦会

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『蕎麦会』とかいうタイトルを見ると、読者の皆さんは「ついに岳志も駒ケ根に帰って、通常の生活を始めたみたいだ」なんて思われるかもしれません。でも、この蕎麦会は福島市でのお話です。福島まで行っても蕎麦と縁があるなんて、やっぱり私は根っからの蕎麦好きなんだろうとは思いますが、これがまた意外な展開のお話だったんですよ・・・。

私が東北営業に出掛ける数日前のこと。駒ケ根の蕎麦打ち職人H君が、私に電話をかけて来てくれました。彼は、福島県福島市の出身で、結婚して伊那谷に暮らしてはいますが、昨年の震災以降、被災地の避難所を回ってボランティアで蕎麦打ちの出前を行う活動を、長野県内の有志の皆さん達と行っています。私もその様子を、彼と一緒に飲みながら聞かされていたりしたんです。

「岳志さん、今度また福島に行くんですけど、鶴を持って行きたいんで買いに行ってもいいっすか?」・・・「へー、いつ行くのさ?」・・・「9月8日に福島市内で蕎麦打ち会のイベントをやるんっすよ」・・・「なんだってー?その日オレも福島市に行く予定なんだけど」・・・「エーッ!だったら岳志さんも顔出して、挨拶してってくださいよー!!!」・・・

っていうイキサツで、期せずして同じ日に福島市に、それも後から調べてみたら目と鼻の先みたいなところにいるっていうことが分かって、私は訳も分からずにその蕎麦会イベントの席上でご挨拶をする羽目になっちゃたんです(汗)。H君は年に何回か里帰りするとしても、私は2年に1度くらいしか福島市に降り立つことなんてないのに、こりゃ一体どういう偶然だったんでしょうねぇ。

会の趣旨は、福島と長野の若者のつながりを作って交流を図ることで、震災以後何かしたくてもできずにいる福島に活気を取り戻してもらいたいっていうことのようです。主役を若者にして、そういったつながりの中から何か新しい風を巻き起こそうっていう、H君らしい発想と行動力によるイベントだったんじゃないですかね。そういうところで、信州の産物についても紹介していこうっていうことで、信濃鶴を持ち込んでくれたようです。

予定では、私はなるべく早く福島市を出発して仙台に入って、サンセールさん達がやっている前夜祭に合流するつもりだったんですけど、その蕎麦会が始まる夕方の7時頃までは福島市にいなくっちゃならなくて飲み会の方はあきらめました。でも、地元の人間が頑張っているんだから少しでもお手伝いできればっていうつもりで、信州のお酒の説明と、H君をよろしくお願いしますっていう気持ちをお話しさせてもらいました。

後から聞くと、かなり会の方は盛り上がったらしくて、今後の展開も楽しみになってきたようです。今後の福島の復興に、若い人たちの力は欠かせないものになるはずです。H君達の作ったつながりの中で、長野の若者の力も発揮できるような場ができると、とても有意義な活動になると思うんですけどね。

私は、講師料(?)として彼の打った美味しい十割蕎麦をごちそうになって、ご機嫌で仙台に向かいました。でも、福島・仙台間が東北新幹線でたったの20分足らずなんだからと、特急料金をケチってJRの在来線の方に乗ったら、何ということか1時間半くらいもかかっちゃって大失敗したっていうのは、ここだけの話です(笑)。


□□□ 偶然ってこんなもんなんですかねぇ □□□
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おやじダンサーズ

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拙ブログの読者の皆さんならよくお分かりでしょうけど、私はこんな風に写真を加工してアップするなんていうことは、お遊びで試したことはあっても、これまでやったことはありませんでした。しかし、その美学(?)を崩してでもこの写真は載せたかったんですよね。そう、これは6年越しでようやく顔を合わせることになった、『おやじダンサーズwithトーコ』の集合写真なんです。

本来だったら、今回の東北営業で一番記事にしたかった楽しい話題は、仙台で初めて会うことができたbossのことだったんですよね。とにかく今回は書くことが多過ぎましたし、内容もヘビーだったもんだから、とりあえず後回しにしときましたけど、満を持して、私のかけがえのないブロ友連中の『初めての再開』の様子をご報告いたしましょう。

酒のかわしま主催の『仙台日本酒フェスト』にbossが北海道からやってくるって聞いて、「ついにこの時がやってきたかっ!」ととても興奮しました。実は、駒ケ根からも越百のえっちゃん御一行が来てくれて、内輪だけでもとても賑やかになったんですけど、これもサンセールさんの人徳のなせる技なのか、ただ単にみんな飲みたかっただけなのか・・・(笑)。

このブログを始めて、ブログランキングにエントリーした時に、既にbossとサンセールさんとトーコ姉貴はランキングの上位に君臨してました。みんな、それぞれに勝手なこと書いてたわけですけど(笑)、お互いにコメントのやり取りなんかをして、すぐに仲が良くなったんです。業種は違ってもお酒を扱う業界の面々でしたから、話も通じ易かったんだと思います。

中でも、どう考えても、一番おバカなことをやっていたのがbossでした(笑)。その頃毎日書かれていたブログには、北海道の遠軽町で日々繰り広げられているハチャメチャな所業が綴られていました。でも、いい仲間に囲まれて、信頼されている兄貴分としてのbossの姿もよーく分かりましたね。当然、いつかは会ってみたいと思ってました。

他のお二人とは程なくしてお会いすることができたんです。トーコ姉貴は旦那さんの新さんと共に、同業者として話し合える仲になりましたし、サンセールさんに至っては仙台で信濃鶴をフンガフンガと売りまくってくれるようになりました。ところが、bossだけは北海道、それも最果ての遠軽町に住んでるっていうことで、会う機会には恵まれなかったんですよね。

とは言え、bossのことはある程度知っていたとも言えるかもしれません。ブログを読めばどんなこと考えてるかは分かりますし、電話は何回もかけてるし、毎年彼らが盛大に挙行しているロードバイクの旅のDVDは何年分も見て来てますからね。彼の声も体型も性格も、大体分かっていたわけで、イベント会場でも本当に「ヨッ!」っていう感じで会うことができました。

どうして、この4人がまとまってブロ友になれたのか今となってはよく分かりません。この一団を『おやじダンサーズwithトーコ』と命名したのは私だったかもしれませんが、『おやじダンサーズ』と言い始めたのはbossだったように思います。「オレは『おやじ』じゃねーし」とは思ったものの、同じ年のbossに言われればしぶしぶと承諾せざるを得ませんでしたね(笑)。

仙台のひと晩だけじゃとても話は尽きませんでしたが、またいつか必ず会えると確信しましたから、次の機会を楽しみに待つことにしましょう。bossもようやく新しい店のオープンに向けて動き始めるみたいですから、遠く駒ケ根の地から精一杯応援しようと思います。いつか遠軽に行ける日がくるといいんですけどね。

私がブログの写真にこれほどまでに写り込んでいることは珍しいわけですが、右端からboss、トーコ姉貴、サンセールさん、私の順です。私以外の男二人はVサインなんかしちゃって、子供と大してレベルが違わないことが一目瞭然です。トーコ姉貴は自社の製品のPRと勘違いしてますから、これも論外。『おやじダンサーズwithトーコ』をこれからもまとめていくためには、私がもっとしっかりしなくっちゃと決意した夜でした(笑笑笑)。


□□□ bossもブログ書けよー! □□□
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息抜き

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ちょっと東北ブログが続き過ぎてましたから、息抜きにちょっと別の話題に振ってみましょう(笑)。って言っても、使う写真は今回撮って来たものですから、解説は東北バージョンになっちゃうんですけどね(汗)。若干、明日からの予告編も含めての記事の内容になってくるんじゃないかな。

先日、東北営業から帰ってくると、ほとんどはスパムメールっていう大量の悲しい受信メールの中に、ひとつとてもうれしいものが入ってたんです。それは、FC2ブログさんからのもので、なんと、これまで2ギガバイトだったファイルのアップロードエリアが10ギガバイトまで拡張されたっていうんです!

つまりは、アップロードできる画像ファイルがこれまでの5倍になったっていうことで、私とすれば、実に小躍りしたくなるような話なんですよね。たぶん、今のやり方でこのくらいあれば、このブログの場合にはほとんど写真の容量を気にしないで、私の寿命が尽きるまでは使い続けられるはずです(笑)。

携帯をスマホにしてから、写真の最小サイズが640×480になっちゃって、携帯カメラの320×240の数倍のファイルサイズになっちゃってたんですよね(汗)。そうなると、あまり無造作に写真を投稿し続けるとヤバい状況になりそうだったんです。まぁ、「いつまでブログを書き続けるんだオメーは?」っていう問題ですが・・・。

でも、これでどんどんと写真をアップできますよ。何がいいって、原画を640×480でアップしておいて、それと同時に表示画面のサイズに合わせたサムネイルも作ることができますから、ブログの画面上では適当な大きさ・・・複数枚投稿する時にはかなり小さくなりますが・・・で見てもらっておいて、画像をクリックすることで、どの写真も原画サイズでご覧いただけるようになるんです。

っていうことで、東北で撮った写真を少しまとめてアップしてみました。詳しく見たい画像があればそれをクリックしていただければ、大きなサイズになりますから、これまでよりはかなり細かい観察ができると思います。まぁ、そんなことする人はあんまりいないとは思いますけどね(笑)。

【1~3枚目】福島県伊達市のN酒店さんに向かう途中の道端には、いたる所に放射能汚染を思わせるものがありました。『除染中立入禁止』の看板や、行き場のない放射性廃棄物があって、そんなのを間近に見るとやっぱりビビります(汗)。こういう中で生活している皆さんの気持ちって、複雑なものがあるでしょうね。この日の放射線量は0.52マイクロシーベルトで、いつもよりちょっと高めだっていう話でした。この日の夜は、福島で熱い若者たちの会があったんですけどそれは別稿にします。

【4枚目】新装開店した『N酒店』さんの陳列棚。『而今(じこん)』さんなんていう超有名銘柄の隣で小さくなっている信濃鶴(笑)。他にも、酒マニア垂涎のお酒が並んでいて、これなら街から遠くてもお客さんが来るのもうなづけます。

【5枚目】これは別の酒販店『N屋』さんの店内。倉庫じゃありませんよ(笑)。地震の時に棚は崩れてしまったんだけど、こういうお酒用の箱に入っていたものは助かったんだそうで、あれ以来、地震が来てもいいように店内でも箱のまま陳列しているんだそうです。これはこれで面白いディスプレーになってましたが、下の箱から取り出すのは大変そう(汗)。

【6枚目】今回『若乃井』さん以外にもうひとつ酒蔵を見学させてもらいました。そこにあった、真新しいもろみの袋しぼりの機械。私はコイツの新品を初めて見ましたね。このお蔵さんについても、また日を改めてご報告します。

【7~9枚目】仙台では3泊しましたが、毎晩誰かと深酒してましたね(汗)。最初の夜は、越百のえっちゃんの旦那さんと二人で仙台の夜を楽しむという、実に珍しい体験をしました。次の写真の手タレ4人が非常に重要なんですけど、これはまた記事にします。最後のは、仙台ラストの夜にラストまで残ったサンセールさんとトーコ姉貴。結局こういうメンツで有終の美を飾ることになるんですねぇ(笑)。


□□□ えらく長い記事になっちゃいました(汗) □□□
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現場

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東北営業最終日は、朝Oさんに気仙沼駅に送ってもらう前に、以前O商店があった場所に立ち寄っていただきました。当然、ものの見事に何も残ってはいないんですけど、3年前にうかがった時に以前の様子を見ていたわけですから、その時の思い出と共に現場を拝見することができました。

写真でもお分かりのように、すぐ向こうは海ですから、あんな大きな津波に襲われたら、それこそひとたまりもないっていうことは誰の目にも明らかでしょう。あの日、テレビから流れる津波のリアルタイム中継を見ながら、このお店がなくなってしまっていることだけは覚悟せざるを得ませんでしたね。

お店の裏側がすぐに港になっていて、防波堤やら漁船やら漁業施設が並んでいた記憶がありますが、今はほとんど何もなくなっている状態です。Oさんの住宅兼店舗も、奥にお風呂場があった場所が残るくらいで、土台以外は全て流されてしまいました。震災のあった翌日にこの場所に来てみると、お酒のビンがその辺に少し転がっている程度だったそうです。

そんなことはご本人やご家族は思い出したくもないでしょうが、ここはOさんが津波に流されそうになった現場でもあるわけで、当時の様子をOさん自身から生々しく聞かせてもらいました。これまで話で聞くだけだった内容をその場で解説してくれるわけですから、なんともリアルに状況が把握できましたね。

Oさんが異変に気が付いてお店の2階から降りて来た時には、既にひざ下くらいまで水がついてきていたそうです。この写真で言うと左から右へ向かって土地に傾斜が付いているんですけど、ふと右を見ると少しくぼんだ場所を貨物トラックが津波に流されて海岸の方から流されてきたんだとか。それを見て、慌てて左方向、つまり山の方に向かって車を発進させますが、なかなか進まなかったそうです。

ようやく発進して国道まで出ますが、その国道も既に左右の低い部分が浸水していたために他の自動車がいなくて、運良く通り抜けられたそうです。そこが渋滞していたら危なかったっておっしゃってましたね。その後、安全な高台まで避難できたわけですけど、今だから話せるヒヤヒヤ話でしょう。

本当に丸一日くらい御厄介をおかけしたOさんに、言い足りないまでもお礼を言って、7時30分頃に仮設住宅を出発して、気仙沼からJR大船渡線、一関から新幹線、新宿から高速バスと乗り継いで駒ケ根まで帰って来たのが18時30分頃でした。やっぱり、あそこまで入り込むと、なかなか簡単には帰ってこれませんね。

これにて、私の今回の東北営業は主だったところをひと通りご説明申し上げたんですけど、実は、もっともっといろんなことがあったんです。どうしても、記事にしなくっちゃならないこともありますから、もうちょっと東北シリーズが続きますがお付き合いください。ここにきてブログランキングの順位が後退しそうですけど、メゲずにいっときます(笑)。


□□□ がんばれがんばれー!!! □□□
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仮設住宅(つづき)

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Oさんのいる仮設住宅は、小学校の校庭に建てられていました。180戸以上がお住まいになっているそうです。仮設住宅を背にすると、すぐ目の前が校舎になっていて、いかに無理をして建物を詰め込んでいるかが実感できましたね。子供たちは、登校するのが楽チンだなんて言ってました。教室の窓から大声で叫ぶと、家まで伝言ができるとか(笑)。

この小学校も津波の被害に遭って、プールや校舎に被害を受けたそうです。周りに海なんか全く見えない場所なのに、こんな場所まで水が上ってきたなんてちょっと信じられませんでしたね。今でも工事は続いているようでしたが、今年は修復された新しいプールで水泳ができて、よその学校まで行かなくてよくなったと息子さんが教えてくれました。

本当だったら、津波の到達地点には仮設住宅は建てちゃいけないんだそうです。でも、Oさんの地域では他に適当な場所がないもんだから、特別にこの校庭に建ててもいいことになったんだとか。もしも、同じ規模の津波に襲われたら、もっと山の方に逃げなくっちゃいけないってことですけど、もうしばらくはそんなことにはならないでしょう。

一戸分の仮設住宅の広さは、昨日の写真にある四畳半の部屋が2つと、キッチン、バス、トイレっていうだけの構成です。押入れ的なものはあまり付いていなかったと思いますから、本当に狭いものです。ここに家族四人が暮らすっていうことは、そこに実際の生活があるって考えると、通常の感度であれば不可能じゃないかと思いますね。

プレハブ関連の建築業者が工事を請け負うそうですが、請負会社によって住宅の質も違うんだそうで、Oさんのお住まいはいい会社に当たったんだとか。室内の構成にもいろんな種類があって、玄関口から見て2つの部屋が縦に並んでいるよりは、横に並んでいるタイプの方が使い勝手がいいなんておっしゃってましたね。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫、クーラーといった日常の家電製品は整えられていて、さすがに日本の仮設住宅っていう感じですけど、家全体の防寒だとか、隣接する部屋からの音漏れなんかは不十分な点が多くて、プライバシーの保護っていう点からも生活しやすい環境でないことは確かです。一日でも早く、元の生活に戻れるようにお祈りするしかありません。

【1枚目】整然と並ぶ仮設住宅。Oさんの部屋は棟の角にあるので、夏はチンチンに暑くなるそうです。冬の防寒対策も不十分だったために、増設の工事がされたとか。

【2枚目】別方向から見た図。家の窓が、隣の棟の玄関に直結するような形になるので、プライバシーの保護もなかなかに難しいところ。同じ形の部屋が続くので、中間にあるとお隣の玄関と間違えそうです。

【3枚目】すぐわきに小学校の校舎があります。新しくなったプールで、子供たちは大きな声をあげて楽しそうに授業をしてました。子供たちの明るさが、この苦境を乗り切る原動力になっているんじゃないですかね。

【4枚目】仮設住宅から離れて、少し海沿いに行くと、昔の住宅跡地の土台だけが残っています。この辺一帯に家が立ち並んでいたなんて考えられませんでした。


□□□ ちょっとポイント落ち気味です(汗) □□□
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仮設住宅



今回の東北営業の宿泊事情に関しては少し記事にも書きましたけど、4泊5日のうちの3泊は仙台に集中的に取りました。ホテルは毎度の東横インで、会員価格かつ日曜日の宿泊は安くなるので助かりましたね。仙台市内には4軒もあるんですけど、駅から一番近そうな、でも繁華街からは遠いかなっていう場所でした。別に、ここで東横インさんの宣伝をしようってわけじゃないんですけどね(笑)。

最後の1泊は、実はとても貴重な体験をさせていただいたんです。気仙沼まで行っちゃうと、もうその日のうちには帰ってこれないことは分かってましたが、ホテルなんて営業しているところがあるのか分からないし、遅くなってもとりあえず仙台あたりまで帰って来ておこうか、なんて考えていたんです。

そこへもってきて、ここでもO商店さんが助けてくれたんですけど、Oさんの住んでいる仮設住宅にひとつ使っていない部屋があるから、そこへ泊れって言ってくれたんです(汗)。ただでさえ不自由な思いをして生活なさっている状況なのに、そんなところに他人の私が入り込んだら大迷惑になるに違いありませんから、最初は当然お断りしたんですけどね。

ただ、気仙沼に入ってからの交通事情も分かりませんし、どんな行動になるのかも予測がついてませんでしたから、いざとなったらOさんに甘えるとして、とりあえずは気仙沼までは行ってみようっていうくらいの計画しかできませんでしたね。かなり行き当たりばったりの、学生時代のバックパック旅行に近い感覚で、荷物を最小限にして出かけたんです。

結局は、その日の夜はOさんやOさんのお友達たちとしっかり飲むことになって、何も考えずにご厄介をかけることになっちゃいました、スイマセンスイマセンスイマセン(汗汗汗)。私のような第三者が泊ってもいいものかどうか気が引けますし、ご家族にも気を遣わせるわけですから、本当に申し訳ないことをしました。

しかし、そんな経験はなかなか出来るもんじゃありませんし、ここまできたらOさんの言うことを聞くしかないと、仮設住宅のひと部屋に泊めていただいたんです。Oさんご家族とは別棟で、私一人が泊る分には広々と使わせていただきました。ただし、ここで家族で生活するとなると、窮屈この上ないっていうスペースでしょう。

実際には、Oさんご家族と、友人の墓参りでうかがった奥さんの仮設住宅に入れてもらったわけですが、部屋の中に少しでも生活するための道具が入ると、それだけ足の踏み場も狭くなって、洋服や靴ですら行き場を失っているようでした。全てが流されたと言っても、生活を始めれば必需品が増えてくるわけで、とてもとても通常レベルの生活からは程遠いっていう印象でしたね。

書き出すと、いくらでも書きたいことが出てきちゃって、1日分に収まりきれません(汗)。明日もうちょっと続けますね。


□□□ クロニクルさんが追い上げてきてますね □□□
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墓参り(つづき)

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奥さんが現在暮らしているのは、陸前高田市の隣の大船渡市の高台に建てられた仮設住宅でした。彼女にとって救いと言えるのは、自分のご両親がご無事で、現在の住宅のそばにお住いだっていうことでしょうか。それでも、ご両親のお宅も1階部分は全て浸水するくらいだったそうですから、相当な被害ではあったようです。

私の友人の遺骨はまだ彼女の仮設住宅にいて、そこでようやくヤツと再開ができました。ありし日の遺影が、まだそれを現実として受け止めていいのかどうか私を悩ませるような顔つきでこちらを眺めていました。そこが狭い仮設住宅の片隅だっていうことも、悲しさの行き先が見えない落ち着かなさを演出しているようでしたね。

彼女にとって、私に話すことは全て悲しみの総復習になっているわけで、何を話しても切なくて、私には到底彼女を慰めるなんていうことはできませんでしたが、大学時代の友人っていう間柄だから話せることもあったでしょうし、これまで胸につかえていたことのほんの少しでも吐き出してもらえたとしたら、それで良かったんですけどね。

あんな風にあまり考えもしないような状況で突然いなくなってしまうと、その人に対する気持ちはとても大きく残るのかもしれません。彼女の言葉からは、彼が優しい男だったっていう思い出と、亡くなり際に苦しい思いをしたんじゃないかっていう思いやりばかりがほとばしって、彼女の気持ちがまだあの日のままだっていうことをうかがわせていました。

発見された遺体は顔の部分しか見せてもらえなかったそうです。顔はきれいに残っていたんだけど、ズボンには血が付いていて、痛い思いを、怖い思いをしたんじゃないかといつまでも考えてしまうとか。優しかった彼が恐怖の中で亡くなって、それを物語る光景はまだそのまま残っている。彼女に本当の笑顔が戻るのは、いつになるんでしょうか。

全ては流されてしまって何も残ってはいませんが、数少ない遺品がヤツが身に着けていた腕時計でした。どっぷりと水に浸かっていたわけですからもう動かないものだと思ったそうですが、防水型だったらしくて、今でも動いてました。それを手に取ると、何となく彼の人懐っこい笑顔に会えた気がして、もう何も言えませんでしたね。

あまり時計をしない奥さんの誕生日プレゼントのために、ヤツがネットでこっそりと注文してあった女性用の腕時計。震災のあった数日後に届けられる予定でした。その後の大混乱で配達先が分からなくなっていたようですが、数ヵ月後に業者の方が奥さんを見つけ出して届けてくれたんだそうです。天国からの贈り物とヤツの形見は、今も一緒に時を刻んでいます。

今回の東北営業は、とにかく私にとってウルトラヘビーな旅になりました。私には何もできませんし、分かったようなことも言えません。この現実をどう受け止めて、これからどうしていけばいいのかも見当が付きませんが、東北のために一生懸命にお酒を造ろうとだけは思いました。確実に涙腺がダメージを受ちゃって、夕日を見ただけで泣けるようになっちゃいましたが、残りの東北レポートブログは悲しくないように書きますね。


□□□ いろいろ盛りだくさんの営業でした □□□
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墓参り

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電話の主が私だと分かると、彼女はすぐに泣き出してしまって、もう何を言っているのか分からない程になってしまいました。ようやく彼女の言葉が聞き取れるようになって、大体の状況が分かって、こちらの予定が伝えられたのが10日ほど前のこと。4泊5日の長旅の最後のクライマックスは、震災の津波にのまれた友人の墓参りでした。

宮城県と岩手県を境として、気仙沼市と陸前高田市があります。私の大学時代の友人が住んでいたのが陸前高田市でした。あの日、自社の社員をみな避難させて、自分だけが会社に戻ったところを津波に襲われたらしいです。彼とお母さんは発見されましたが、お父さんはまだ見つかっていないそうで、残された奥さんはひとり仮設住宅で暮らしています。

せっかく気仙沼のO商店さんまで行くんだから、あれからずっと心に引っかかっていたヤツの墓参りをしたいと思ってました。交通の便についてはよく分かりませんでしたから、もしも行けるのならっていうくらいのつもりだったんですけど、奥さんの電話口の泣き声を聞いて、どうしても行かなくっちゃと決心しました。

現地の道路事情についてOさんに相談したところ、快く陸前高田まで連れて行ってくれることになって、有名になった『奇跡の一本松』の横を通って市内まで入りました。復興のシンボルと言われたこの木は、この翌日に切り倒されることが決まっていて、傍らの駐車場には県外ナンバーも含めてたくさんの車が停まっていました。報道関係者も多かったですね。

陸前高田の景色は気仙沼と違って、更に広々と何もないっていう印象でした。平野部分がとても広くて、海岸線から山までの距離があるもんだから、津波が一気に奥の方まで入り込んだっていうことが少し高い所にいるとよく分かりましたね。それだけに被害も甚大で、亡くなった方も多かったんでしょう。鉄筋コンクリートの建物だけが残って、あとは家の土台が累々と並んでいる光景でした。

待ち合わせ場所になったのは、以前の陸前高田市役所の建物の前。残った建物なんてそうはありませんから、あそこにあるっていうことは分かるんですが、どこに道路があるのか分からないような状態で、行き当たりばったりでたどり着きました。その時のままの状態でがれきが残るビルの中には入れないようになっていて、入口に祭壇がしつらえてありました。

この3階建ての建物の屋上に登った人しか助からなかったんですよ。3階までの窓部分は全て津波でぶち抜かれていて、それだけの水の高さって一体どれほどの量の水なのか想像もできませんでしたね。本来の避難場所に指定されていた、この市庁舎の前にあった公民館に避難した人たちは全て流されてしまったそうです。それほどに、全てが想定外だったんでしょう。

私の友人の仕事場はこの市役所のすぐそばだったんだそうです。そして、住まいもそれほど遠くないところに建ててあって、もちろん跡形もなくなっていました。久しぶりに会った奥さんは、電話口と同じように、何を話すにも涙と一緒でした。泣かないで市内を運転できるようになったのはつい最近だと。可哀想な場所で待ち合わせをさせてしまいました・・・。


□□□ 駒ケ根には帰ってます □□□
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O商店

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前日には山形から仙台まで帰って来てからまともに寝られるわけもなく、午前様だったのかどうかも定かではありませんが、サンセールさん&トーコ姉貴としっかりと飲めたことだけは確かで、相変わらずの二日酔いで予定の新幹線には乗り遅れました。乗り継ぎが良かったんで、結局時間通りには目的地に到着できたんですけどね(汗)。

下り立ったのは気仙沼市。このブログでもご紹介した、地震と津波の被害に遭われて家ごと流されてしまったO商店さんです。期せずしてこの日は震災からちょうど一年半が過ぎた日で、一関から気仙沼に向かうJR大船渡線には、何らかの関係者とおぼしき感じの人達がそれなりに乗っておられましたね。ついにこの東北営業も佳境に入ってきました。

気仙沼駅からO商店さんの最寄り駅までは電車の線路が壊滅しているので、Oさんに駅まで迎えに来ていただきました。案内がてら回って見せていただいた気仙沼市内の様子は、何とか言葉にしようとすれば、「言葉にしようがない」っていうところでしょうか。がれきの撤去は終わっているものの、全てがまっ平らになって何もない草原と化していました。

大きな力でひん曲げられたようにして残された鉄筋コンクリートの支柱が、津波の力のものすごさを見せつけてはいるものの、気仙沼では津波の後に大きな火災も起きましたし、元々のその街の景観を知らない私には、今の光景が一体どれくらい以前と違ったものになってしまっているのか想像ができませんでした。「ここ一面に住宅が建っていたんですよ」っていう説明が、その言葉のままには理解できない。

私も初めて津波の被災地に足を踏み入れたわけですが、Oさんがいろいろと説明してくれて、とてもよく状況は飲み込めました。Oさんのようにあっけらかんと話してくれたから良かったものの、同じ部落だけでも40名ほどが犠牲になられて可哀想な話はいくらでも出てきますから、普通に聞いてたらこちらの精神的ダメージが大きくてやり切れなかったでしょう。

ただ、本当にちょっとした標高の違いで、あるラインからは家がちゃんと残っていますから、そちらだけを向いていれば通常の生活がそこにはあるわけで、何にもかもが無くなったっていうイメージでもないんですけどね。リアス式海岸の特徴で、山がすぐそこにあるっていう環境が生き残りの術を与えてくれたんでしょう。逃げ場の選択ひとつが生死を分けたっていう意味がよく分かりました。

Oさんも津波に足を取られながら本当に命からがら助かったわけですが、その後の生活再建は当然大変だったそうです。今でも仮設住宅に住み、思うに任せない生活を送っておられます。生きていくことはできるようになったけど、本来の生活はこれから先いったいいつ取り戻せるのか予測がつかないようです。

先日のN酒店さんのように遠くに引っ越されたっていうわけではなく、昔と同じ地域でお店を再開しておられます。店舗も仮設で、本格的なご商売にはまだまだ程遠いっていう状況でしたね。それでも、お店を開いていれば地元の人が買いに来てくれて有り難いことだと、Oさんのお母さんはおっしゃってました。地域の絆は、そう簡単には壊れないってことでしょう。

この地での再起を目指してはいるものの、行政サイドの計画がいまだにほとんど未定で、動こうにも動けないっていうのが正直なところだそうです。「一年半も経つのに」っていういらだちも、住んでいる人達の間には広がっているのかもしれません。全てが流された後の景色を見て、「がれきが少なくなっただけで、津波の翌日とほとんど変わりませんよ」と言っていたOさんの言葉が印象的でした。


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相乗り



前日の『酒のかわしま』さんの、深夜まで及んだ懇親会のダメージでズキズキする頭を抱えて向かったのは、お隣の山形県でした。ラッキーなことに、イベントに一緒に参加した『若乃井』さんの帰りの車に乗っけてもらえたんです。ま、本当を言えば、事前の計画段階で強引にお願いしておいたわけで、専務のOさんご夫妻にはご迷惑をおかけしました(笑)。

実は、この日お伺いする予定だった酒販店さんは、若乃井さんの蔵のすぐそばだっていう事情があるんです。ホテルまで迎えに来ていただいて、ほとんどドアツードアで送り届けてもらっちゃうっていう、単なるラッキーじゃなくって、超ラッキーって話なんです。イヤー、友達ってたくさん作っておいて、何にも損はないもんですねぇ(笑)。

山形県って、私が知る限り、最も長野県に似たイメージを持った県なんですよね。車窓から眺める山々の風景、果物をたくさん生産していること、馬刺を食べるところ等々、馴染み易い要素が数多くあります。標高では当然長野県の方が全体的には高いと思うんですけど、何というか、山のたたずまいが似ているような気がするんですけどね。

何よりうれしくなるのは、蕎麦が美味しいことでしょう。山形っていうと板蕎麦が有名ですけど、今まで食べたお店でハズレはなかったですもんね。訪ねていったM酒店さんとOさんは懇意なわけで、この日のお昼も3人で一緒にお蕎麦をいただきました。美味しいお店で、おまけに信濃鶴まで扱ってくださることもあるようで、ご店主にもご挨拶申し上げて、プチ営業させていただきました。

せっかく若乃井さんの目と鼻の先まで行くんだからってことで、お願いついでに蔵も見せてもらいました。用水路に魚が泳ぐようなきれいな水の田園風景の中にあって、長生社よりはかなり広いお蔵ではのびのびと作業ができるようです。近年は積雪量が異常に多くて、倉庫がつぶれたり仕込み蔵の梁が折れたりして、雪対策が大変だなんておっしゃってましたね。

前回の造りの途中からOさんが杜氏役になって、今年は本格的にその体制になるんだそうです。突然のことでご苦労もあったようで、出品酒を火入れした時に、一番いい部分を失敗しちゃったなんていうオマヌケな話もしてくれたんですが、「杜氏やってりゃ人にしゃべれないような逸話がこれからいくらでも作れるから」と、はなむけの言葉を贈っておきました(笑)。

今度はM酒店さんに、長井市から山形市まで、車で1時間もかかる距離を送っていただきました。ここでもご好意に甘えちゃったわけですけど、車中では2人だけでお話ができるわけで、私としては移動の時間が無駄にならないで済むような気がして有り難さ倍増ですね。M酒店さんも人なつっこい山形弁でしゃべってくれますから、楽しく会話ができるのもうれしいところです。

M酒店さんと別れた後、市内の訪問が終わって仙台行きのバスに乗れたのは、もう辺りが真っ暗になった頃でした。今回の営業回りでは、移動範囲は広いんだけど、ホテルは集中的に仙台に取って、そこを拠点にして動くようにしてみたんです。毎日違うホテルに泊まるとなると、荷物を全て持ち歩くことになって大変ですもんね。

でも、1日の仕事が終わってバスの中でホッと一息ついてたら、サンセールさんから早く帰って来いメールが入って、この方策が良かったのかどうか、チト疑問になったりもしたんですけどね(笑)。

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仙台日本酒フェスト



毎日が慌ただし過ぎて、いったい何を記事にしたらいいのかよく分かってませんが、とりあえずその日のメインイベントについてはアップしていって、その他のオマケ的な、でもとっても重要な出来事については、駒ヶ根に帰ってアタマを整理してから書くことにしましょう。これだけブログ用の時間が取れない営業回りもめずらしくて、ちょっとテンパってます(汗)。

さて、9日の日曜日は待ちに待ったサンセールさんのお店、『酒のかわしま』主催の『仙台日本酒フェスト』が開催されました。一昨年に続いて二回目ってことになりますが、この間に大震災が起こり、サンセールさん自身も以前に勤めていたお店から独立して、本当に多忙な2年間だったはずです。このイベントの持っている意義は、実に大きなものがあると思うんですけどね。

人生の大きな節目として、自分の意志で自分のやりたい商いをする道を選んだサンセールさんですが、それは言葉で言うほどに簡単なことではないでしょう。おまけに、走り始めから従業員を3人も抱えるという、無謀だとも思えるやり方でしたもんね(汗)。まぁ、彼のことだから、その辺は飄々としたもんでしょうけど(笑)。

ただし、この従業員という肩書きの面々も、意志を持ってサンセールさんについて来た男達ですから、半分は共同経営者と言っていいかもしれません。大きな会社の一部門としての酒販店よりも、自分達の責任で、自分達の努力が、しっかりと自分達に帰って来る今の方が、はるかにやりがいを感じると、みんな口を揃えて力説してましたね。

その、記念すべき『酒のかわしま』第1回目の大イベントですが、前回の経験があるもんだから失敗するわきゃないわけです(笑)。総勢30蔵がブースを持って、500名のお客様を迎えます。実際には、250名ずつを3時間で区切った2クールに分けて行いました。両方合わせて6時間っていうのは、結構な長丁場ってことになりますね。

前売り券は完売で、400名の予定を500名に増やしたっていうんだからすごいもんです。時間を少し早めるくらいにして始まった会場内は、それなりに混雑していましたが、激混みっていうほどでもなく、適度な間隔でお客さんに対応できましたね。本当は2人くらいいると余裕があるんですけど、私はひとりでずっとしゃべり続けてました(涙)。

参加蔵の中には『酒屋八兵衛』のトーコ姉貴もいて、久しぶりの再会を仙台で果たしました。長野県からも他に2蔵参加していて、かなり長野県比率は高かったですね。それも、『仙醸』さんと『木曽路』さんですから、全くもって御近所ってことで、宮城県にいるんだか長野県にいるんだか、アウェイっていう感じがしませんでしたよ(笑)。

『酒のかわしま』のお客さんだから当然ですが、信濃鶴のことを知ってくれている方が多くて、私もとてもやり易かったですね。鶴チュー的なお客さんにはしっかりとご説明できましたし、飲食店の皆さんにも売り込みができて良かったです。わざわざ東京方面から来られた方もいてビックリしましたが、あの皆さんもお得意様なのかな(汗)。

無事に第2部も終了して、後は懇親会に突入です。ま、夜の仙台については、稿を改めましょう(笑)。酒のかわしまのスタッフの皆さん、参加蔵元の皆さん、本当にご苦労様でした!!!

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N酒店



朝イチのバスは予定通りに新宿に到着して、今度は東北新幹線で一路福島に向かいました。土曜日だってこともあったんでしょうが、結構な混雑でしたよ。目を引いたのが、妙に楽器を持った人達が多かったんですよね。通常じゃちょっとあり得ない所持率だと思うんですけど、もしかしたら仙台で開催されるジャズのイベントの出演者だったのかもしれません。

サンセールさんからも情報はいただいてたんですけど、このイベントのせいで仙台市内のホテルがとっても予約しづらかったんですよね(汗)。それ程大きなお祭りなら、これくらいのミュージシャンが出演してもおかしくないかもしれません。私も、いつも使う東横インが取れなくて、ちょっと離れた、別の東横インしか予約できませんでしたもんね。

さて、福島市から隣の伊達市に入って、とにかくお会いしたかったN酒店さんに向かいました。Nさんはこのブログでもご紹介しましたが、大震災の津波で南相馬市にあったお店が壊滅状態になって、更に原発事故の影響でその場にすら戻れなくなっちゃったのに、今では伊達市に新しい店舗を構えて、しっかりとご商売を再開しておられるんです。

最寄りの駅から歩き始めると、道の脇にいきなり『除染中立ち入り禁止』の看板が・・・。その横の空き地には、厚さのありそうな黒いゴムのようなシートで厳重に包まれた、行き場のない汚染物質の山まであって、今回の事故を肌身で感じていない私は、その横を通り過ぎるだけでもビビっちゃって、右手と右足が同時に出るような歩き方になっちゃいましたよ(汗)。

あらかじめ調べておいたお店の位置を、スマホのグーグルマップで見ながら、どんどんと歩くことができましたが、だんだんと私の頭の中に「やっぱしこーかよー(笑笑笑)」っていう思いが浮かんできました。どーゆーことかって言うと、お店のあるロケーションが、津波に流された以前のそれに酷似していたからです。端的に言って、ど田舎の田んぼの中ってことです(笑)。

「結局、Nさんはこういう所でひっそりと、でも知る人ぞ知るっていう酒屋をやりたかったんだな」と、以前と変わらない彼のスタンスにうれしくなりながら、約2キロの炎天下の道のりを歩きました。以前は魚屋だったっていう店舗を改装して、チョット見は居酒屋かっていうような外観のお店にたどり着いた時には、汗びっしょり状態でしたね。

そこでお聞きした話はここでは書き切れませんし、並大抵ではなかったご苦労は私の言葉ではお伝えできないでしょう。でも、落ち着いた内装の店内には、あんな辺鄙な場所にもかかわらず常にお客さんが入ってきて、ここでの商売も軌道に乗りつつあるっていう感じを受けましたね。やっぱりやる人はやるんだっていう、ホレボレするようなオーラが漂ってましたよ。

「酒屋で良かったって思いましたよ」と言います。原発事故のせいで職場を無くし、新たな働き先もない人が多い中で、自分が働けていることがとても有り難かったと。何か作るにも原材料も手には入らない時に、注文を出したら取り引きのある全国の蔵元から商品が送られてきて、なんとか商売が再開できたのはこの業態だからだったと。根っからの酒屋とこれからもお付き合いができて、私もとてもうれしい気分でした。

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東北出張



さて、本年最後となる長旅に出発した岳志です。今回の営業は東北方面ひと周りっていう感じになるんですけど、基本的には福島、宮城、山形の3県になるかな。広いエリアですから、そう簡単に移動するわけにゃあいきませんが、使えるコネは全て使って綿密な計画を立ててありますから、タイトな予定もなんとかクリアできるはずです(笑)。

朝イチのバスは4時30分発。バスターミナルまでは女房に送ってもらわなくっちゃならなくて、仕事もあって大変なところを、早起きしてお弁当を作ってくれました。こういう時には、前日の晩からご機嫌をとっておくに限りますが、最近会社の仕事をやるようになって、業務として動く時には、割と文句を言わずによくやってくれますね。『業務』の時はね、『割と』ね(笑)。

バスで隣に座ったご婦人のつけている香水のせいなのか、暗い空が朝焼けで明るくなっていくのを見たからか、かつて学生時代にアメリカをひとりでぶらぶら歩いた時のことを思い出しました。何の脈絡かお分かりにならないでしょうけど、お金のない貧乏旅のこと、ホテル代を浮かせるために、移動には夜行のバスを使うのが常だったんですよね。

当時のアメリカのバス会社には、1ヶ月間乗り放題の特別なチケットがあって、それを学割かなんかで買ってあったもんだから、どこへ行ってもいいわけです。広大な大陸の中の主要都市は距離的にはとっても離れているわけで、バスをホテル代わりにして、なるべく長距離を移動するようにするんです。乗車時間が20時間なんてなると、さすがにウンザリしましたけどね(汗)。

今でも記憶に残っているのは、ある晩に隣に座った黒人女性のこと。確実に体重が私の倍以上はあると思われるアメリカンサイズの方で、窓側の私はやおらバスのガラスにへばりつくように押し付けられる形に。その体勢の窮屈さと、ガラス窓のへりからゴンゴンと流れ出す冷房の寒さで一睡もできなかったという、とてもいい思い出があるんです(笑)。

その時の彼女がつけていた強い香水と、バスの車窓から何度となく眺めた朝焼けが、今日の状況でフラッシュバックしたのかもしれませんね。今の体力じゃあんな無茶な旅はとてもできないでしょうけど、今回の営業には多少あの時のひとり旅に似た感じの予感がしてるんです。ちょっとしたオプション付きの長旅の予定です。その件については、またご報告しますね。

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圃場巡回(つづき)

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長野県を代表する酒米の産地である、私達の住む上伊那地方ですが、一般の飯米も含めて非常に質の高いお米が収穫できる、知る人ぞ知る米穀地帯なんですよ。水は中央アルプスの伏流水が豊富に使えるわけですし、造り酒屋としてなんといい地の利を得ていることかと、この圃場巡回をさせてもらうといつも思わされますね。

以前にもご紹介したことがありましたが、飯島産の美山錦は県外の造り酒屋さんからも注目されていて、私が知っているだけでも東京で名の知れた銘柄のお蔵さん数社が買い付けに来ておられるようです。そういうルートが出来上がっているっていうことも事実でしょうが、それだけ評価が高い証拠でしょうね。『信州産美山錦使用』なんてうたっているお酒は、大抵は飯島産なんじゃないかな。

酒米に関して長野県全体の数字を見ると、今回いただいた資料によれば、美山錦5万俵、ひとごこち1万俵、しらかば錦1千俵っていうくらいの割合の生産計画になっているようです。上伊那だけで見ると、もっとひとごこちの割合が高いんじゃないかと思いますが、この数字のうちのかなりの部分はこの地方で作付けされているわけです。

ちなみに、しらかば錦っていうのは完全な酒造好適米じゃなくって、『準』酒造好適米と呼ばれる範疇のものです。信濃鶴でも昔はよく使いましたね。私が杜氏になった頃もいただいてました。美山錦への移行もあって使用量は減っていきましたが、扱い易いとてもいいお米だったと記憶しています。現在は、ほとんど作られなくなっちゃったようです。

写真は、中川村の棚田の様子。今では圃場の整備も進んで、大きな機械が入れるように田んぼ自体が広くなっているわけですが、山の中なんかではそんなわけにもいきません。中川村にはこういった棚田がいくつか残っていて、地元の有志の方たちによって管理維持されているようです。この田んぼのほとんどで美山錦が作付けされていました。

本当に山の斜面にへばりついたような小さな田んぼでしたが、ここで収穫された美山錦を使って、『今錦』醸造元の米澤酒造さんが『おたまじゃくし』っていう面白いブランドのお酒にして好評を得ておられます。ここでのお米作りは大変そうだってことは、見るだけでよく分かりましたね。山の中ですからシカやイノシシに荒らされることも多くて、周りには電気柵が張り巡らされてましたよ。

私は自分でお米を栽培したことはないんですけど、田んぼの土手に立って美山錦の穂を手で撫でていると、自分でも気が付かないうちに顔がニターっとしてるんですよね(笑)。こりゃもう自分の娘の頬を撫でているのと同じで、かわいくてかわいくて仕方がないっていう感情が込み上げてきちゃうんでしょう。ほぼ出来上がった美山錦を前にして、気持ちのいい田んぼの空気を深呼吸しながら、どんどんと酒造りモードに突入している岳志でした。


□□□ 旅に出るとコメントバックがしづらいんだな □□□
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圃場巡回

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これも毎年の話題となりましたが、秋の圃場巡回が先日行われて、ようやく涼しくなってきた気候の中で、伊那谷の酒米の様子を見学させてもらってきました。JA上伊那さんのお招きで、地元の酒造メーカーをはじめ酒米農家さんも含めて、美山錦やひとごこちといった地場産の酒米の田んぼにいくつか連れて行っていただいたんです。

早生(わせ)に属する美山錦はもうしっかりと穂が垂れて、私には判断がつきませんが、いつ刈り取られてもいいくらいに見えましたね。早い田んぼでは刈り取りを始めようっていう時期のようですし、あと1週間もすればどんどんとコンバインが稼働し始めるなんてJAの職員の方はおっしゃってましたね。

気になる今年の生育状況ですが、ほぼ平年並みっていうことのようです。傾向とすると、穂の数は少なめなんだけど、粒は大きめになりそうだってことで、その辺が相殺されていつもくらいの収量は上がりそうです。ただし、これも実際にモミすり等をしてみないと何とも言えない部分もあるそうですから、予測の範囲は超えないみたいですけどね。

そういう予測を立てるために、JAさんではこの地方のいくつかの田んぼを重点的に管理して、そこからデータを収集されているみたいですね。そういう場所では、専用の機械を設置して積算の気温とか日照も調べて、現代の米作りっていうのはかなり科学的なものなんじゃないんですかね。収穫適期の推定だって、1日単位みたいな感じですからね。

気象データからの話題としては、7月中旬以降が極端な高温傾向になっていて、そういう場合には成熟は早まるんだけど、玄米がもろくて割れ易い米質になるんだそうで、農家の方も胴割れが多くなるんじゃないかと心配なさっておられました。これは、酒米にとっては精米の品質を左右する問題ですから、私達としても注意してなくっちゃならないポイントでしょうね。

お話を聞いていて私が考えたのは、傾向とするとどうやら一昨年の生育環境と似た部分があるって感じですから、もしかしてあの年のお米みたいに硬くて硬くて溶けないなんていうことにならんわなぁってことでした(汗)。でも、説明によればもろくなる傾向だっていうんだからそうはならないとは思いますが、あの年の造りは非常に苦労しましたから、あんな風にはなってもらいたくないんですけどね。

そういう、米農家でもない私達が事前の情報を得る、あるいはその年の酒米の生育上の背景を知るっていうことは、とっても大切なことだと思うんです。自分で育てていれば、そのお米の素性についてかなり分かって酒造りを始められますけど、そういうわけにはいかない私達にとっては非常に重要な裏情報であって、そんな機会を頂けること自体JAさんには感謝しなくちゃならないでしょうね。

上の写真は、飯島町の美山錦の田んぼのものです。私には米作りは分かりませんが、土手がこれほどきれいな田んぼはそうはお目にかかれません。ここをお作りになっている農家の皆さんが、いかに酒米作りに力を入れてくれているかっていう証明でしょう。ちなみに、ここの農家の親父さんの晩酌酒は信濃鶴だそうです(笑)。まだまだ書きたいことがありますから、明日もうちょっと続けますね。


□□□ 明日から旅に出ますからヨロシク □□□
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美勢商事

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若葉会総会の翌日は、お決まりの異業種工場見学ってことになっています。今年は塩尻市の『美勢商事(みせしょうじ)』さんにうかがうことに。美勢商事さんは、その会社名からは想像できないんですけど、主に餃子を中心とした冷凍食品を製造されているメーカーさんなんです。同じ食品製造業として、大いに見習うべき点がありましたね。

何で長野県で餃子なんだっていうことは、素朴な疑問として最初からお聞きしようと思っていたんですけど、近郊がキャベツの産地だっていうことがひとつ大きな理由のようです。原材料の調達コストが安くて済むわけですから、地の利があったっていうことなんでしょう。最近ではニラも農業法人化して作っておられるっていうことでした。

大手の食品メーカーが何社か存在する中で、美勢商事さんは規模的には非常に小さなレベルのようですが、その特筆すべき特徴は、添加物等のない安心安全の製品作りに取り組んでおられるっていうことです。保存料、着色料、調味料に至るまでその精神を貫いて、市場からは絶大な信頼を得ておられます。

実は我が家でも、娘のアトピーがひどかったこともあって、昔から化学的な添加物のない食べ物を選んできているんですが、その経緯の中で美勢さんの冷凍餃子や肉まんには昔からお世話になっていたんです。女房もその辺のことには詳しくて、今回の工場見学はしっかりと見てくるようにと命令が下っていました(笑)。

見学させてもらったから言うわけじゃなくって、美味しいんですよ、この餃子が!化学調味料に慣れてしまった舌だと分かり難い部分もあるかもしれませんが、国産の豚肉を使って、添加物を使わないが故の製造の難しさを丁寧に作ることで克服して、多少値段は張っても確かな品質を維持しておられます。一般のものに比べて価格は2倍になるかもしれないが、原価は3倍かかっているなんておっしゃってましたね。

かつては量を作ることを志向されておられたところを、価格競争に巻き込まれない経営っていうことで、一時は売り上げを半分にまで落しながらも量から質への方向転換をなさってここまで来たんだとか。今のご時世ですから当然苦しい部分はあるにしても、こだわりの商材として安定した出荷先を確保なさっておられます。製造ラインは別としても、酒造業界としても参考になるお話をしていただけました。

写真もOKということでしたので、あまり企業秘密の写らない程度に紙上の工場見学といきましょう。工場の中はにんにくの匂いが充満して、にんにく嫌いな人は入れないとか。玉ねぎのせいで目もちょっと痛くなりましたね(笑)。

【1枚目】工場の中に入るのに、これだけ厳重な服装をされられたのは初めてでした。簡単に工場見学なんてお願いしちゃいけませんね(汗)。
【2枚目】餃子の具を練っているところ。刻んだキャベツの中に異物が無いか。その度に目でチェックして投入なさってました。
【3枚目】実際に餃子を成形する機械。ここを機械化すれば効率は上がるわけですが、添加物を入れない皮は破れ易いので、全て手で取り上げて検査します。
【4枚目】出来上がった餃子を蒸して冷やすベルトコンベア。殺菌はできるけど味は損なわれないギリギリの線を狙います。
【5枚目】一晩かけて冷凍状態になった餃子を袋詰めしていきます。近代的な工場じゃなくって、手作業も多かったですね。
【6枚目】これは餃子じゃなくって肉まんの製造機。生地を膨らませるのに生のイーストを使うので、きめが細かくて美味しい肉まんになるんだそうです。

今回の工場見学では、製造のラインも経営的なお話も、実に興味深く拝見することができました。大きな企業のやり方でなくても、独自のこだわりに工夫を加えて、将来を見据えた販売戦略を取っていくことで道が開ける、とてもいい具体例を見せていただけたと思いますね。長生社もそうなる予定なんですが、なかなか上手くいきませんなぁ(笑)。


□□□ ブログランキングは上手くいってます □□□
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若葉会総会



先日ご報告したのは長野県酒造組合の総会でしたが、昨日はその酒造組合の青年部に当たる『若葉会』の総会でした。48歳にもなって若葉も何もねーだろーっていうご批判は受け付けませんが(笑)、私もまだ会員として名前があるわけですし、現会長の前任は私だったこともあって、まだまだこの手の会議にも出席しなくっちゃなりません。

しかし、私のような半年寄り(?)ばかりじゃなくって、蔵の若い御子息たちもどんどんと入ってきていて、私がここで自分の在籍を言い訳混じりに弁護しなくっちゃ気が引けるくらいの年齢構成になっていることも確かです(笑)。下手をすると、私の半分くらいの年齢の会員だって出てきてるんじゃないのかって思うほどですからね(汗)。

今回は、親組合の役員人事が新しくなったことに合わせて、こちらも執行部を新たに選出して、新しい船出をしようっていう節目の総会でした。新たに任命された会長は、実は私と同じ歳のちょっとオジさんだったりするんですけど(汗)、私なんかより物事はしっかりと考えているし、会社の実績も上げている男なので、年齢以外は申し分ない適役でしょう(笑)。

直前会長の私の最後のお役目は、新役員を選定する時に組織される選考委員会の委員長さんっていうことで、そのお勤めを果たして、これでようやく私も若葉会から足が洗えるかなっていうホッとした気分です。いつまでもロートルがデカイ顔をしていても若手が伸びられませんから、会員として名前は留まるとしても、実質は卒業ってことになるかと思うんですけどね。

そんな人事案件もあって、夜の懇親会は大いに盛り上がりましたね。会場は松本市だったので、夜の街にはいいお店がイッパイありますしね。一次会は会場となったホテルで行って、二次会、三次会、〆のラーメンまで、私も久しぶりにラストまでみんなに付き合いました。寝落ちないでフィニッシュラーメンまでたどり着いたのは、実に珍しい(笑)。

写真は二次会でお世話になった松本駅前の『風林火山』さんでの様子。このお店は長野県内の日本酒をとても愛してくれていて、私たちがなだれ込むには最適のお店でしょう。信濃鶴のことも身に余るほどの扱いをしていただいているので、私としても松本で飲むなら是非ともお邪魔したいお店の筆頭です。マスターはその後も私たちに付き合ってくれて、「岳志さんが寝てねーのって珍しー!」と連発してました(笑)。

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お仕事



女房が会社の事務に入るようになってから、少しばかり岳志家の中での仕事の役割分担も変わりました。考えてみると、もう既に半年くらいは経ったわけで、時の流れの速さを感じつつも、何とか女房も仕事に慣れて来てくれたようでホッとはしています。その半年の間に私とすると、それまでよりは家事を手伝うことが多くなったと言うか、やらざるを得ない状況になったというか・・・(汗)。

その最たるものが朝のゴミ出しだっていうことは以前にもここで書いたような気がしますが、女房は会社の仕事に慣れ、私はゴミ出しに慣れ、今日は半年後のレポートを再びお届けすることにします。イヤ、たまたまゴミステーションの写真を撮ったもんだから、そんな気分になっただけなんですけどね(笑)。

どうやら朝の7時から8時くらいの間がゴミを出す時間に決められているようですが、この時間にこの場所に行くと、時として他のご家庭の方と顔を合わすことになります。このゴミステーションの前の道がとても狭いもんだから、お互い反対側から自動車で来るとちょっとした交通渋滞みたいになって、譲り合うもんだからしっかりと顔も見ることになるんですけどね。

で、やっぱりほとんどは男性なんですよね。基本的には家庭ごみなもんだから、お父さんが会社への出勤途中に出していくっていうのが、お決まりパターンになっているんでしょう。やっぱりどこのご家庭でも、お父さんの立場っていうのは大して変りがないんだと、出会う男性には「ご苦労さまです」と声をかけたくなっちゃうんですけどね(笑)。

特に、共働き家庭になれば、そのくらいやるのが当然だとは私も思いますし、だからこそ文句も言わずにやっているわけですが、どこのご家庭も同じ状況なわけはないはずで、どうしてお母さんの立場の人に出会わないか不思議なくらいです。半年間通い続けても、本当に1、2回しか女性に合わないもんね。時間帯がずれればそんなことないのかな?

ゴミ出しがお父ちゃんの仕事ってことになると、家の裏にあるゴミ置き場の管理も私がやることに自動的に(強制的に?)なりました。まぁ、私としてはそういうことにも気がいくようになって、逆に積極的にやってやろうとは思うようになりましたけどね。駒ケ根市はゴミの分別に非常に厳しいもんだから、女房に聞かないと分かんないことも多いんですけどね(汗)。

サラリーマンのお父さんがマンションからゴミの袋を持って朝の出勤に向かうなんて、テレビドラマの中でのワンシーンですが、日本中で皆さん同じようなことをやってるってことなんでしょうねぇ。とすると、ここで私が「こんな仕事をやるようになりましたっ!」なんて、大見得切って記事にできるような話じゃぁないですなぁ(笑)。

その他に私がやるようになった仕事と言えば、毎朝パジャマをたたむようになったことでしょうか。これも大した仕事じゃぁありませんが、それまでは脱ぎ捨ててたものをちゃんと仕舞うようになったんだから、大いなる進歩だと強調しておきましょう(笑)。これからも、女房殿がしっかりと働けるように、どんな仕事でも喜んでさせてもらいまっせ!


□□□ 女房はこのブログを読み忘れるようになりました(涙) □□□
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講話会

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先日、県の醸造研究機関が主催の研究会の際に、県内の杜氏さんの講話会がありました。私たち蔵元や蔵人にとって、ひとりの杜氏さんのお話をしっかりと聞く機会ってあんまりないんですよね。どんな内容になるかは分かりませんでしたが、こりゃいいチャンスだと、私も聞く気満々で出かけてきました。

講師になったのはK酒造のI杜氏さん。各種の品評会では常に好成績で、誰が利いても群を抜いて素晴らしい酒質を造り上げておられる、長野県きっての名杜氏と言っていいでしょう。味、香り、バランス、ふくらみ等々、全てが整ったお酒を非常に安定的に醸されていて、私も毎年毎年その出来に驚かされるところです。

県の杜氏会長もなさっておられるI杜氏さんを師と仰ぐ関係者も多くて、蔵に尋ねて行ってお話を聞いたとか、自分の蔵まで来てもらって指導を受けたなんていう話はそこらじゅうで聞きますね。熟練のその容姿や語り口からも、ベテランの域に達した杜氏さんの自信が感じられて、頼りがいがある感がたっぷりの先輩と言ったところでしょうか。

正直を言えば、技術的なお話を聞けるかなっていうつもりだったんですけど、それよりも杜氏としての歴史や時代背景についての内容が多かったですね。聴講者を見回すと、私なんかもう年齢的には上の方で若い蔵人たちが多かったですから、そういう話の方が今後のためになるかなっていう気はしましたけどね。

私が会社に入って蔵の仕事をするようになった時の先代の杜氏は、I杜氏さんより少し上の年齢でしたが、同じような時代背景の中で杜氏の経験を積んできていましたから、その手の話の内容はほとんど一緒だったんですよね(笑)。私も、先代杜氏に聞いて忘れかけていた、昔の蔵の厳しい様子を思い出させてもらいました。

かつて、先代杜氏と私が蔵に泊まり込んで仕事をしていた頃には、午後の仕事が終わって夕食を食べながらの一杯が進んでくると、よく昔の仕事の大変さを半分説教交じりに聞かされたもんです。話に聞いただけで、私達の世代は後世にはその内容は伝えていけないと思いますから、今のうちに若い連中にそういう話を聞いておいてもらうことには意味があるんじゃないですかね。

後半は技術的な話にもなりましたが、毎年安定した酒質を達成しておられるだけに、やっぱり数値的にもしっかりと押さえるところは押さえているんだっていう内容でしたね。まぁ、私程度の技術じゃ太刀打ちできない、長年の経験の蓄積による微妙なさじ加減までは、とてもとてもこういう場じゃ教わることはできませんけどね。

40年以上の杜氏歴を持つ人は、だんだんと少なくなってるんじゃないかな。現代では大学進学が当たり前になっていますし、高校を中退して丁稚奉公で蔵にやらされたなんていう経歴はあり得ない。それだけに、「昔は怒られて仕事を覚えたのが、今は褒めないと覚えてもらえない」なんていうボヤキも出るんだと思います。「厳しさの中でしか技は身に付かない」っていう言葉が、今回の一番の収穫でしたかね。


□□□ ブログを書くのも厳しいもんです(笑) □□□
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秋の夜長イベント



秋の気配がようやく感じられるようになってきましたかね。日本人もだんだん猛暑っていう言葉に耐性がついちゃって、もしかしたらこんな気候はおかしいんじゃないかっていう感度が鈍ってきているかもしれません(汗)。駒ケ根は、夜になってもあまり涼しくならないような日が続いて、やっぱり地球環境が変わってきてるんじゃないかなんて思わざるを得ないんですけどねぇ・・・。

秋といえば行楽の季節でもあり、日本酒の季節でもあり、イベントの季節でもあり、週末毎にいろんなイベントやお祭りに顔を出すことが多くなります。先週の土曜日も、私とすると3つの予定がかぶっちゃってトリプルブッキングの状態(汗)。1つについては諦めざるを得ませんでしたが、何とか残りの2つには参加することができました。

ひとつは、駒ケ根の商工会議所の青年部企画の『駒街BAR(こまちバル)』。これは、専用の4枚綴りのチケットを購入して、協賛している街の中の飲食店さんで使ってもらうことで、お客さんに街に出てもらって、にぎわいのあるまちづくりにつなげようとするもので、チケット代金よりはお得なサービスを受けられるっていう特典が付いています。

基本的には各お店での対応っていうことになるんですけど、繁華街の真ん中にはブースを出して、ステージ上で何組かのゲストを呼んでパフォーマンスをしたり、その近くでは多少の飲食ができるようになっていて、私はそこで日本酒を振る舞う係っていうことになってました。地元のお酒が何種類かあったんですけど、コップに注ぐだけの仕事でしたし、それほど忙しいわけじゃなかったんですけどね。

それでも、チケットが一枚出されると、4種類のおつまみの中から2種類、日本酒、ビール、カクテル、ジュース全20種類くらいの飲み物のうちから1種類っていうチョイスになって、案外面倒臭かったりします。特に、そのお酒の担当がいないと、そのお酒の注文が入った時に周りがパニくることになるわけです。ビールを注ぐくらいはできますが、私が作ったハイボールはかなり自信がありませんでした(汗)。

こまちバルのブースを終了してから急いで向かったのは、『悠合カフェ(ゆうごうかふぇ)』さんの1周年記念イベント『秋の踊り』。ちょっと妙なネーミングですが、マスターのユウゴさんの感度もちょっと普通じゃありませんから、これはこれでアリかと(笑)。ユウゴさんとはいろんなご縁でそれなりに長い間お付き合いいただいてますから、今回も手伝いに来いって言われて断れませんでしたね(汗)。

この小さな盆踊りのようなイベントは、かなりすごかったですよ。何がすごいって、このお店の小さな庭にやぐらまで組んじゃって、出演するパフォーマーは外国のダンスからブルースバンドまでセミプロのような人ばかり数組。出店のようにしていろんな専門店の食べ物も買うことができて、しゃれた大人のための盆踊りっていう感じでした。駒ケ根でこの雰囲気を醸し出せるお店は、たぶん他にはないでしょう。

イベントっていうのは企画することはできるんですよね。ステージへの出演依頼だって、お金を払えば可能でしょう。一番難しいのは人集めになるっていうことはこれまでに私もイヤというほど味わっていますが、この夜の悠合カフェの周りは人でごった返していました。この集客力は、このお店の人気ぶりを示すものなのか、ユウゴさんの強引さの賜物か分かりませんが、こんな辺鄙な山の中にこれだけの人が集まってきたことに驚かされましたね(汗)。

結局、午後の4時から10時まで立ちっぱなしでお客さんにお酌をしていましたから、かなり疲れました。こういう時って、ろくにご飯も食べられませんから、余計にそんな感じがするんでしょう。空きっ腹にちょびちょび入るアルコールもイカンですしね(笑)。でも、裏側から見るお祭りっていうのも案外面白いもんですから、この秋のイベントはそんな楽しみ方をしてみましょうかね。


□□□ このブログの集客力は? □□□
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誕生日

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私の誕生日じゃないんである。甘いものをそんなに食べないお父ちゃんの誕生日に、ケーキなんか買ってくるわきゃないんである。食卓も豪華である。お父ちゃんの時にはちょっと刺身が多かったくらいだったのに、リクエストに応えてか、普段は並ばないようなご馳走が所狭しと並んでいるんである。別に、いじけて言ってるわけじゃないけどね(笑)。

娘が16歳におなりあそばしまして、先日家族で開いた誕生日祝いでした。高校1年生なんだからそんな歳だなんて分かりきったことですが、あらためて16っていう数字を聞くと、なんだか大人にかなり近くなったっていう気がしますね(汗)。私が48歳だから、まだまだ3分の1っていうことにもなるんですけど(笑)。

世のお父さん方の嘆きと一緒で、もうこんな歳になると父親のことなんてかまってなんかくれませんな(涙)。でも、我が家の場合には、全く話もしないなんていうことはありませんね。どっちかって言うと、いろいろとよく話してくれる方じゃないかな。会話がケンカ腰になることもままありますが(笑)。

このブログにも、以前は娘とのお笑い会話をよく載せたもんでしたが、最近そんな記事は皆無になってますね。これは、やっぱり会話量が減っているっていうことが一番の原因でしょうが、無邪気な子供らしい感性がどうしても減ってきますから、お笑いのネタになるような会話が無くなっちゃってるんですよね。大人同士の会話に近くなっちゃったって言うかね。

私としても、いくら可愛い娘だと言っても、あんまり可愛がりようもなくてつまんない気分ではあります。昔のように頬ずりをしたり、抱っこしたり、手をつないだりはできなくなっちゃいましたからね。ヘタに頬ずりでもしようもんなら、何か汚いものでも避けるような仕草で逃げられちゃうでしょう(涙涙涙)。

まぁ、あんまり感慨深いものがあるってわけでもないんですけど、女房に言わせると「あと2年もしたら、家からいなくなっちゃうのよ」っていうことで、今は大学の進路を決めるのに頭を悩ませているようです。そうやって、だんだんと手の届かないところまで行っちゃうんでしょうねぇ・・・。

「16歳になったら、もう結婚だってできるのよ!」なんて、妙に誇らしげに言いますが、「何だそりゃ、脅し文句のつもりか?」と対抗意識バリバリで、彼女が食べたかった鶏の唐揚げをたくさん平らげたら、「お父ちゃんが、余計に食べたー!!!」と、小学生並みにしょげかえってました。まだまだ、子供子供(笑)。


□□□ 隣に写っているのは友達からのプレゼント □□□
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おかげ様

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最近、信濃鶴を売っていて、とっても有り難いなぁって思うことが多いんです。そりゃどんな時かって聞かれても、ハッキリとは答えられないんだけど、こんな鶴でも人様のお役に立ってるんだってことを、何となく実感させられる場面に出くわすことがあるって言えばいいか、酒造りをしてて良かったって素直に思える状況にいることがあるんです。

商品が飛ぶように売れるわきゃないし、経済の先行きだって不透明感たっぷりの御時世ですから、売り上げが伸びるっていうような直接的な要因がそう感じさせてるんじゃないと思うんです。なんか最近こんなフレーズが多いような気がしないでもありませんが、実際には売り上げなんて伸びてるわけじゃありませんし、どんどんお酒が売れてうれしい悲鳴を上げてる自分なんて、夢の中でしかお目にかかれませんもんね(笑)。

そういうことよりも、信濃鶴を介しての人と人とのつながりが、数字には表れない達成感のようなものをもたらしてくれているような気がします。お金っていう面ばかりじゃなくって、人から「鶴があって良かった」って思ってもらえることが、本当の意味での蔵の存在価値でしょうし、それこそが造り手としての誇りと自負につながっているんじゃないですかね。

例えば、無濾過のような特殊な商品の発売を個々の酒販店さんにご案内させてもらう時にも、私とすると押し売りみたいになっちゃいけないからと、必要な数だけっていう感じで、これでも控え目にご注文をお受けするんです(笑)。本当は、もっとたくさん買って下さいと思っていても、そうはなかなか口には出せませんしね。

でも、そんな時に、「そりゃぁおかげ様だ」っていう言いかたで、こちらの思っている以上のご注文を頂けたりなんかすると、売上が上がったなんてぇことよりも、求めていただいているんだっていう実感がうれしくて、飛び上がりたいような気持になるもんです。私達にとって、それ以上のお褒めの言葉はないですもんね。

そんな時には、「一滴として手を抜いて造ってなくて良かった」っていう思いが、これまで以上に大きく込み上げてくるわけで、多少出来の悪い信濃鶴を可愛がってもらっている酒販店さん達に、より良い酒を造ることでこの気持ちをお返しできたらと、意を新たにするんです。売り上げは簡単には伸びませんが、こういう部分の伸び代が会社の成長につながってくれればいいんですけどね。

それが、純米蔵にした結果なのかどうか分かりません。でも、意思を持ってモノづくりをするようになった結果だとは言えるんじゃないかな。信濃鶴の純米化なんていう目に見える変化は今となっては大したことじゃなくって、あの時から意思を持った酒造りを始めたってことが、大きな一歩だったんだと思ってるんですけどね。

ま、何が言いたいんだ分からんブログになっちゃいましたが(汗)、そういう気持ちを忘れちゃいけないって、自分で再認識させられることが多い昨今だっていうことが言いたいんだと思います(笑)。写真は、蛇の目猪口の中で浮いているように見えたクモ君。こんな所で巣を張っても、餌は飛んで来ないと思うよ・・・。


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