明治生まれの、造り酒屋としてはいい時代を生きた、昔気質の商人でしたね。今会えたのなら、いくらでも話をしたいことがあるのに、もうちょっと生きててくれたらなぁと、かなわぬ夢のようなことを考えることもあります。
いくら可愛い曾孫とはいえ、子供のしつけは厳しかったように記憶しています。親の言うことは聞くもの、長男は家を継ぐもの、人前では行儀を良くするもの・・・こんなことは説明するまでもなく、当たり前のこととして私たちの間に流れていた空気でした。よく説教も喰らいましたね。
そんな曾じいさんの葬式には、この地方の数多くのお歴々が参列していたんだと思います。今だったら、どういった人たちが見えてくれていたのか分かるかと思いますが、大学生の私にはどんな肩書きの人たちなのかは皆目見当がつきませんでした。
式が進んで、弔辞の場面になりました。ひとりのご老人が前に出て、何も見ずに遺影に向かってとつとつとしゃべり始めます。しかし、次第に声はかすれ、何を言っているのかわからなくなり、おろおろと曾じいさんの名前を泣きながら語り掛けるばかり。
同じ時代を生きてきた盟友だったのでしょう。平和な時代も激動の戦渦もくぐりぬけ、日本の、そしてこの地域の経済発展の歴史を共に作り上げてきた間柄だったはずです。年寄りだから涙もろかったのでしょうか。いや、そこには2人にしか分からない真実があるからこそ、大勢の人の目も気にせずに涙していたはずです。
私は、その姿を見て思いました。それが男として、公を背負って、歴史を背負って、真実を背負って流す涙であるのなら、たとえ人前であろうとも、これっぽっちも恥ずかしいものじゃないと・・・。こんなに素晴らしい友情に包まれて死ねるのならば本望だと・・・。
そのご老人の名前はacbさん。駒ヶ根市の初代の市長であり、この地域の発展のために生涯をかけた大人物でした。私は彼と曾じいさんとの関係については良く知りません。ただ、葬式で涙を流して遺影に語り掛けるという事実だけで、全ては語られています。
もうお分かりですね。彼は、私の天敵のacbさんの祖父に当たる方です。そして、初代市長の後を継ぎ、駒ヶ根市の2代目の市長になったのが、私の曾じいさんの弟だったんです。腐れ縁なんだよなぁ、きっと。
曾じいさんたちみたいに、駒ヶ根経済の発展のために尽力して、acbさんと肩を並べるような経営者になることは私には出来そうもありませんが、まだまだ先は長いですからねぇ、どうなるか分かりませんよ。
こんな酒造り生活を続けていれば、私はそんなに長生きじゃないだろうから、たぶんacbさんより前に死ぬはずです。そして、acbさんは私の葬式で弔辞を読んで、オイオイと泣いてくれるはずです。「あんときゃ俺が悪かった。酒の売り方も、宣伝の仕方も、レッテルのデザインも、全て岳志の言う通りにやっときゃよかった。ああー許してくれー」ってね・・・(笑笑笑笑笑)。
□□□ 昨日の記事とペアで読んでね □□□
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