専務取締役杜氏の純米酒ブログ

期せずして杜氏になってしまった造り酒屋後継ぎの純米蔵奮闘記

蔵見学レポート(3)

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あんまりレポートばっかり書いてると、読者の皆さんも飽きちゃうだろうし、私も自分の止まらない筆に辟易としてくるので(笑)、ちょっとここで緊急連絡です。間近に迫った5月20日(火)に、グランドプリンスホテル赤坂(昔の赤坂プリンスホテル)に於いて、『長野の酒メッセin東京2008』が開催されます。毎年恒例のイベントになっていて我が社も出展しますから、ぜひ皆さんお越しくださいね!

実は、諸事情のためにこのイベントには今年は出ない予定だったんですが、急遽出られる運びになりましたので、お知らせします。本当は信濃鶴が出展しなくてもここで広告しなくっちゃならないに決まってんですが、自分が出ないのにここで記事にすると誤解を招くかなぁと思って控えてました。でも出ますからね!声を大にして宣伝しておきます(笑)。

さてさて、ここからはレポートのつづきです・・・昨日までは『義侠(ぎきょう)』醸造元の山忠本家酒造株式会社さんと、『蓬莱泉(ほうらいせん)』醸造元の関谷醸造株式会社さんがかなり違う路線のお蔵さんだっていう事を書いてきました。規模も売り方も設備も全てが正反対と言ってもいいくらいでした。

ここまで違う2つのお蔵さんでしたが、実は大きな共通点がありました。それは、どちらのお蔵も30年程前に大きな方向転換を図っていたっていう事です。それまでは両蔵とも、安く売りさばくための酒を大量に造るというタイプのメーカーだったそうです。それでは未来がないからと大英断をして、その結果売上げも落として、長い間苦労してようやく今のような名の通った蔵になれたんです。

それほど重大な意思決定を迫るほど、愛知県は厳しい時代があったんでしょう。長野県は経営環境の厳しさが違い過ぎて、未だにゆでガエル状態なのかもしれません。いったん下がらないと巻き返せないって分かっているのに、切羽詰まってないもんだから、つぶれもしないで何となく今まで来ちゃってるような気がするんですけどねぇ・・・。

それまでは同じような酒の造り方売り方をしていた蔵が、そこで2つに分岐して、こんなにも違った現在があるなんて考えると、自分の意思の力で未来を切り開いていくことの面白さを感じないわけにはいきません。時代に流されずに、しっかりと自分の足で歩いて今ここにいるからこそ、この2つの蔵の経営者にはゆるぎない自信を感じるのでしょう。

でも、この手の話はよくありますよね。いったん全てを捨てるつもりで新たなスタートラインに立って、どん底まで落ちたんだけれども、人には言えないような苦労を積んで今の栄光をつかんだってな話・・・こりゃ、きっと、成功のための大セオリーじゃぁねぇの?たぶん一回底を見ないとダメなんですよ。流されてどん底じゃなくて、自分の意思でどん底をね。

2つのお蔵でいただいたお話を比べてみて、そんなことを思いました。とても勉強になる対比をさせてもらえましたね。「そんじゃ、これからの自分の蔵の行く末を、どうやって自分で決めるの?」と参加メンバー全員に問い掛けられているようでした。


□□□ 次回最終回・・・かな? □□□
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