専務取締役杜氏の純米酒ブログ

期せずして杜氏になっちまった造り酒屋後継ぎの純米蔵奮闘記

入蔵(3)

初めて杜氏代行になった年のことを、今でもよく思い出します。それまで8年くらいは蔵人として働いていたし、長年勤めてくれる人もいました。しかし、いざ入蔵となって準備を始めようとすると、やることだらけで何から手をつけていいのか、優先順位は何なのか、何を手配しなくてはならないのか・・・途方にくれた記憶があります。準備作業ひとつとっても、手順が悪いからまた時間がかかる。全てのことに手間取ってしまいました。

そういえば、麹菌や酵母菌の手配をするのを忘れていて、明日米を蒸し始めるという日になって気が付いて、泡を食ったことがあったっけ。隣の市の酒蔵に慌てて借りに行ったもんです。

実は今でもあるんですよ。そんなに大失敗はないんですけど、使う日の直前になって気が付くことが・・・。寝がけに思い出して、ガバッと布団から飛び起きるんです。やっぱり蔵の生活は精神衛生上良くないかもしれないですね。

女房も言います。
「最初の年、あなた会社へ帰るとき、玄関から車まで走ってたわよ。そんな距離走ったって何にも関係ないくらいだと思ったんだけど・・・」

緊張しっぱなしだったんでしょうね。今では気軽に判断できることでも、
「失敗したらどうしよう」
という、とてつもない恐怖を感じてしまって、判断に時間がかかってしまう。もろみの温度設定を0.5度下げるだけでも、2時間も悩んでいました。もろみタンクは蔵内に10本以上ありますから、20時間とは言いませんが相当な時間を費やしていました。

昼間は他の蔵人と通常の仕事がありますから、夜の間ずっとウジウジと考え込むわけです。ですから、睡眠時間は本当に、本当に3時間程度だったと思いますよ。大げさではありません。私の性格にもよるんでしょうが、杜氏1年生なんてみんなそういう苦労を体験しているんじゃないかなぁ。

あの半年は私の人生の中で、たぶん最も苦しい半年だったと思います。精神的にも、肉体的にも。それが今の私の肥やしになっているはずです。

仕込みの準備作業が始まると、いつもこんなことを思い出してしまいますが、今だってそう楽になっているわけではありません。しかし、余裕ができた分を少しでもいい酒造りにまわせるように、日々研鑚しています(ちょっとカッコいい事言いすぎかな)。

ともあれ今年も造りが始まりました。どんな酒ができるのか、自分が一番楽しみにしているんじゃないかな。

入蔵(2)

入蔵すると、私の生活は一変します。こんなに急激に生活が変化する人もめったにいないでしょう。予定表を見ると、10月はイベント月ですからビッチリと毎日色々書き込まれていますが、11月から4月までは本当に真っ白です。どんな予定が入っても「できません、行けません、ごめんなさい」で押し通します。

もう少し蔵に人手があれば何とかなりますが、やはり生き物を飼うという事は大変なことです。常に気を使っていなくてはなりません。特に麹は米を蒸してから、完成するまでが2昼夜半です。この間に温度や状態が刻々と変化します。その時々の状態に合わせた手入れ作業があり、その変化に対応した方策をとることが必要になってきます。だから目が離せないことになってくるのです。麹を造り始めたら、蔵で毎晩添い寝ということになります。これはどこのお蔵でも一緒です。相当近代化した蔵でも、誰か一人は蔵に泊まって、夜の麹の面倒を見ていると思います。

杜氏をはじめ蔵人がきていた頃には、会社でご飯を三食用意して、お風呂もたいてあったので、家に帰らないでも生活できました。しかし、今は会社に泊まり込むのは私だけですから、その手の賄(まかない)は止めてしまいました。会社と家は1キロくらい離れていますから、夕方の7時頃に麹の手入れ作業を終えたら飛んで家に帰ってお風呂に入って、ご飯を食べて、もし時間があればうたた寝をして、10時頃には会社に戻ります。毎日同じことの繰り返しが、4月のあたままで続きます。

見てくれも変わっちゃいます。もう、スーツもGパンも着ません。毎日蔵専用の服装になります。モコモコしてぜんぜんかっこ良くないのですが、機能的な組み合わせのものにします。頭は坊主にします。ムロで大量に汗をかくので髪は短いほうが楽です。ヒゲは剃らなくなります。お風呂に入ってヒゲを剃る時間がもったいないからです。要するに
「もう人前には出ませんっ!」
という見てくれになるのです。忙しいのもありますが、実際恥ずかしいのでなるべく人には会いません。

ヒゲに関しては、造りにも慣れてきたので、本当は剃るくらいの時間はあるのですが、ここ数年来伸ばしているため、私のヒゲを見ると周りの人たちが
「今年も酒造りが始まったんだね。がんばってね。」
と言ってくれるようになっていて、これも風物詩かなぁ、なんて思って伸ばしています(そんなこたぁないか)。長生社の酒林(新酒ができた印として蔵の前に飾る杉の葉でできた丸い飾り物)だなんていう人もいます。見てくれの良し悪しは別にして、周りの人たちが酒造りの季節なんだと感じてもらえることはいいことだと思っています。

「汚い!」というご意見も甘んじて受けさせていただきます。ハイ・・・。

入蔵(1)

ついに、今年の造りが本格的に始まりました。昔、蔵人が新潟から来ていたときには、駒ヶ根に来た日を「入蔵(にゅうぞう)」と言って、会社でお祝いをしたものです。今はほとんど社員だけで酒を造るので、これといった日はありませんが、気分的にはおとといあたりから「入蔵」した感じでしょうか。

これまでも、蔵の掃除や片付けなど少しずつやってはいましたが、洗い物を一気に2階から降ろして、ムロ(麹を造る部屋)を拭き上げて消毒をして、仕込み水を取る準備をして・・・となってくると、「今年も始まったー!!!」とやる気が出てきますね。

わが社では5月の連休過ぎあたりまで、お酒を造っています。造り終わると「皆造(かいぞう)」と言って、これもまた盛大にお祝いをするのですが、この頃には、
「もう、勘弁してくれ!こんなつらい造りはもういやだ!」
くらいに思っているのですが、夏を越えて秋風が吹き、米の収穫が始まる頃になると、
「今年はどんな酒を造ってやろうか。あんなこともやってみようか。」
なんて、知らないうちにやる気になってます。バカだね・・・。

実際の仕込みが始まるのはもう少し先ですが、仕込みの作業に入る前にとにかく大切なのは、掃除、洗濯、殺菌、消毒です。蔵に入りたての頃によく前杜氏に言われました。
「蔵の仕事の半分以上は掃除と洗い物だ」
これが一番大切な仕事だというのです。どんな技術もしっかりとした土台の上でしか花を咲かせません。小手先の技術なんて二の次なんです。この基本ができていない蔵では、いい酒は絶対にできないでしょう。わが社もまだまだ。

もうひとつ厳しく言われたのは
「手を洗え」
でした。目に見えない麹菌や酵母菌を扱うのですから当然なんですが、この基本ができるようになって始めてプロに近づくのだと思っています。どんな技術も幼稚園児に教えるレベルの基礎がなければ意味がないのです。それは技術や知識の問題ではなく、心の問題なんでしょうね。そういう心で醸さないといい酒はできないということです。

そんなことも思い出しながら、一日中掃除をします。一日中ムロの床や壁や天井を拭き掃除しました。何回となく雑巾を絞るので、手のひらは真っ赤かになって、一枚皮がめくれそうになります。それでも、自分の心を磨くつもりで雑巾で床を磨くのです。

そんなカッコいい事言っても、2日もやれば体がバキバキになってしまいました。これで今年の造り大丈夫かなぁ・・・。

物忘れ

物忘れが人一倍激しい。すぐに忘れる。忘れたら絶対に思い出さない。

仕事が終わって家に帰った。家で寝られるのもあと少しだ。娘とお風呂に入って、ゆっくりご飯を食べよう。
その前に用事がある。
私「ただいま。でも、ちょっと母屋に行ってくるよ。じいちゃんと話がある。」
娘「私もいくー!」
妻「あんたは宿題早くやっちゃいなさい。おとうちゃんとお風呂入るんでしょ。」
娘「はーいぃ(渋々)」
妻「おじいちゃんのところ行ったら、○○○のこと聞いてきてくれる?どこにあるか分からないのよ。」
私「いいよ。」
娘「やっぱり行くー!」
妻「だめよ。」
娘「・・・」

じいちゃんとの用件を済ます。

この間に完全に女房に言われたことは忘れた・・・。
忘却の遥か彼方・・・。
あっという間に忘れる・・・。
いつものこと・・・。

私「ただいま。お風呂入ろうか。」
妻「ねぇ、どうだった?」
私「何が?」
妻「○○○のことよ!聞いてきてくれたの?」
私「あっ、忘れたっっ!」

「まったくこの人はどういう人なの。いつも忘れてばっかりじゃないの。頭の中見てみたいわ。こんなことだからいいけど、もっと大事なことだったらどうするのよ!」
と、一瞬洗濯物をたたむ手を止め、薄笑いを浮かべた女房の顔に、太い字で書いてあった。

妻「いいのよ。100%忘れると思ってたから。明日にでも聞いとくわ。」
100%かよ。せめて90%くらいに・・・
娘「だから私も行くって言ったじゃないの!おとうちゃん一人で行ったら、忘れるに決まってるもん。」
笑った、笑った。

カウンターに思うこと

きのうの夜から、このブログに「カウンター」ってやつを付けたんですけど、今この原稿を書いている時点で74回になっています。ちょうど丸1日たったくらいです。少し実験なんかもしてみたので、その内の10回くらいは自分ですが(笑)、残りの64回はどういう数なんでしょう?

64人がこのブログを読んでくれたということではないのでしょうが、半分の30人くらいは読んでくれているんですかねぇ。別に他のブログにリンクを張っているわけでもないし、ブログランキングみたいなのに登録しているわけでもないので、あんまり他から人が見てくれる要素はないような気がするんだけど・・・。

私の周りで、このブログのことを教えた人は20人くらいですかね。やっぱり、まだ少し恥ずかしい気持もあるので、積極的に公言しているわけでもありません。ブログを書いていても、何か顔のない人たちに向かって物を言っているような、「暖簾に肩押し」的気分でいます。

そんな中で、コメントをいただくことはとてもうれしいことですね。賛成意見でも、ちょっとした苦言でもありがたいもんです。トラックバックなんかもしてもらったりして、ようやくその使い方が分かったところです。

ブログランキングでトップにいるような人は、何百人もの人が読むのでしょうから、気分的にも全く違うのでしょうが、今の私にとって、このように実際に数字になって現れると、ちょっと不思議なような怖いような感じです。

この程度のつながりをWeb2.0的というのではないでしょうが、今の時代の人と人とのつながりの新しい形を、何かに有効利用できるんじゃないのかなぁ、とは漠然と思いますね。

協力隊週間2006国際広場開催(2)

(続き)
このようなまちづくり運動は、今の私にとっては大切なものです。はじめの頃は青年会議所や商工会議所の活動には消極的でした。しかし、一生懸命にやればやるほど、その意味や重要性を自分なりに深く認識するようになっていきました。そして今では、酒造りの仕事と、様々なまちづくり運動とをなるべく同じ比重でとらえるようにしています。

ある先輩が言っていました。
「仕事の時のバージョンと、まちづくり運動の時のバージョンが違うようではいけないよ。これは仕事ではないんだからと、ガチャッと頭の中のフロッピーを差し替えるようではいい運動にはならないんだ。」
かなり前のことですから、フロッピーとかでてきて話が古くてすいません。

仕事が終わってから、かつ自分の時間を削ってまでやるまちづくり運動です。仕事の時の緊張感と真剣さを維持するのは容易なことではありません。そんなの無理だという意見もよくわかります。でも、自分に与えられた時間を使って、自分の体を動かして成果を求めるのです。給料をもらえるかもらえないかという大きな違いはあるでしょうが、周りの人たちと豊かな未来を追及していく姿勢に違いはないと思うのです。

「酒造りはまちづくり」だと考えています。地酒というのはその地域の文化の基盤の一部でしょうから、なおさらそう捉えやすいでしょうね。今の酒造りは儲からなくて、税金も満足に払えない情けない業界ですが、酒を造り続けることは社会的に文化的に意義のあることだと思います。今後はひとつの産業としての力をどうやってつけていくのか模索していかなくてはならないでしょうね。

何はともあれ、蔵に入る前のイベントは全て終了しました。
「終わったー」・・・。
月曜の朝起きてから「終わったー」と何回つぶやいたことか・・・。
「終わったー」・・・。

10月はイベントだらけの月なのです。大きなイベントでそれなりの役柄でいると、前後3日間くらいはつぶれてしまいます。今月からこのブログを始めましたが、ヤバイ時期に始めたもんです。書き溜めたりして、何とか更新してきましたが、やっぱり続けるってことは大変ですね。これから蔵に入ってからの方が、蔵の中の仕事はビッチリ詰まりますが、定期的に時間が取れるかもしれませんね。

私も自分でブログを書くようになってから他のブログも読むようになりましたが、内容の濃い記事を、それも毎日書いておられる方が多いのにはびっくりします。それを読むのも楽しみになりました。このブログも誰かの楽しみになってくれればうれしいですね。

協力隊週間2006国際広場開催(1)

10月15日から22日の期間、駒ヶ根市の「協力隊週間2006」というイベントが開催されていました(いかん!写真とり忘れた!)。長野の酒メッセに引き続き、今回も実行委員です。

駒ヶ根市には日本のODAの一翼を担う、JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊の訓練所があります。青年海外協力隊についてはお聞きになったことがあるかもしれません。看護士、教師、建築、農業など様々な分野で専門性を持った若者が、発展途上国で2年間その国の人たちと共に国際協力活動をします。顔の見える国際貢献として高い評価を得ている日本のODA事業です。発足してから既に41年が経っているそうです。

彼らは派遣される前に、国内で語学をメインとして訓練を受けなくてはなりません。任国で人とコミュニケーションが取れなければどうしようもないからです。英語圏は少数派で、かつて植民地だった歴史もあり、スペイン語、フランス語などが多いのではないでしょうか。その他ウルドゥ語、シンハラ語など聞いたこともないような言語が並びます。いくら勉強しても、途上国の奥地などに行くと、結局現地語みたいなのでなくては通用しないことも多いみたいですよ。

その訓練を行うための、全国に3つしかない訓練所が駒ヶ根にあるのです。これは結構すごいことだと思います。国の機関ですから設備も立派で、何で駒ヶ根の山の中にこんなものがあるのか、最初は不思議に思いました。その他は東京の広尾と福島県の二本松市にあります。彼らはここで約70日間の訓練を受けて、世界中に飛び立ちます。任国に行けば隊員と呼ばれますが、訓練中は候補生と呼ばれます。2年間の任期を終えて帰ってくるとOB・OGなどと呼ばれることが多いです。

その候補生を応援し、全国に3つしかない訓練所をこのまちの財産としてまちづくりに生かしていこうという運動が、長い間続けられています。その花形ともいえるのが今回の協力隊週間なのです。年々規模も大きくなり、たくさんのお客さんで賑います。

内容はOBの方々の各国紹介・物販ブース、いろんな国の料理が楽しめるワールド屋台、OBや外国の方々によるステージ、子供たちお楽しみのスタンプラリーなど盛りだくさんです。私もバングラディッシュのカレーとチュニジアのブリックという料理を出すレストランで1日中テンヤワンヤしてました。ブリックというのは、春巻きの皮の上に卵を落とし、シーチキンやアサリやエビを散りばめて、包んで油で丸ごとあげる料理で、シンプルですが人気のメニューです。

ここでも写真をとってなかったことが悔やまれますが、開会式や閉会式では挨拶しなくちゃならないし、テントの準備から、膨大な数のレンタル品の管理まで、頭の中が一杯でそんな余裕もなかったというのが本音です。朝の6時から夜中の1時まで突っ走っていたような気分でした。

実行委員ではこのお祭りのために、春から準備を重ねてきました。私の1年間のサイクルでは、冬の間は全く身動き取れなくなりますが、春になって蔵から出てくると夏祭りや、秋のイベントに向けての活動を始めるような感じになっていますね。この協力隊を中心とした活動にも平成4年くらいからたずさわっています。もう14年もやってることになりますね・・・。年取るわけだなこりゃ。
(続く)

ブログの題名について(最終回)

(続き)
こうして、専務取締役杜氏の純米酒造りへの挑戦が始まったのです。

これまで純米蔵にしようとした、もしかしたら一番大きな理由を書きませんでした。それは、自分が純米酒が大好きだからです。自分の飲みたいものを造っているんです。

そして、自分が自信を持っていいと思える酒を地元の人たちに飲んでもらいたい。飲ませたくて仕方がないのです。それが純米酒だなんて知らなくていい。

純米ということについては、何かどこかおかしくなってしまった「食」というものに対する、自分として、会社としての裏づけ程度でいい・・・と思っているんです。

でもそれは経営者の視点ではないのですね、きっと。そんな悠長なことを言っていては社員を豊かにすることはできない、株主も困る、ジリ貧だ・・・。

純米酒「造り」への挑戦は、何とか緒についてきました。色々な方々に、自分が考えている以上の評価をいただくこともでてきました。今度は純米酒「売り」への挑戦をこのブログを書きながら始めようと思っています。なかなか蔵から出られない専務の営業活動として、社員のためにと思って書くことにしました。それなら、ちっとは続けられるんじゃないかな・・・。

私は「自分で造る」という最後の切り札を使ってしまいました。しかし、それは世の中で一番信頼のできる人間に造りを任せたということでもあります。何とか頑張って難局を乗り越え、次の新しい地平線を見てみたいものです。

いつも考えているのは、100年後の日本酒の世界です。100年後の大樹を期待して1本1本木を植えるように、1本1本純米酒を売っていこうと思っています。

長野の酒メッセ2006開催

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長野の酒メッセ2006が、10月17日に長野市のホテル・メトロポリタンで開催されました。これは長野県酒造組合と長野県若葉会主催による、長野県内の酒蔵が一堂に会した県内最大の日本酒のイベントです。若葉会というのは県内蔵元の若手経営者の集まりです。若葉会を中心にこの酒メッセは企画・開催され、今年で12回目を迎えました。

年々お客様も増えて、なんと今年は入場者数1968人!あと一歩で2000人の大台に乗るところまできました。第1回目が300人程度だったのですから、何とも大きく成長したものです。続けることの大切さを実感します。

朝、長野駅前でビラ配りをしました。その時にあるメンバーが
「こんなに飲酒運転の不祥事が相次いでいるのに、何で試飲会なんかするんだ!」
という厳しいご意見もいただきました。確かに昨今の社会情勢の流れにそぐわない部分もあるでしょうが、毎年の開催を楽しみにしてくださるお客様の積み重ねがあって成り立っているイベントです。ぜひご理解をいただきたいと思います。

イベントの内容はお酒の試飲が中心です。県内に色々おいしいお酒があることを知ってもらって、県産酒のファンになってもらおうという目的です。各蔵元ブースが1つずつあるので、そのブースに並んでいる蔵元ご自慢の酒を少しずつ試飲しながら、お酒の説明を聞いたり、杜氏さんたちの苦労話なんかも聞けたりします。

13時から20時までの開催でしたが、17時以降は会社帰りのお客様が入るため、会場は身動きが取れないほど混雑しました。人人人人ガヤガヤガヤガヤって感じになります。

それを見て私は「おかしい」と思うのです。こんなにお酒を飲もうとしてくれる人がたくさんいるのに、なぜ日本酒は今売れないのか・・・と。あの賑わいを目の当たりにして、日本酒が売れていないとはとても思えないのです。

潜在的な需要はあるのに、それが顕在化するきっかけがないのか。普段は日本酒なんか飲みたくないんだけれど、年に1回のイベントのときくらい飲んでみるかと思っているのか。あそこに来場した人たちは普通の人たちと全く違う日本酒マニアのような人ばかりなのか・・・。うーん、分からん。

「私はお酒はそんなに飲む方ではないんですが、こんなに日本酒が並んでいると楽しくなってきますね」
「蔵元さんたちも生き生きと説明をしていて、会場がいい雰囲気ですね」
うれしいお言葉もいただきました。

私も実行委員の一人なので、新聞の取材を受けたり、前日にラジオに生出演したり、当日のテレビの生中継であいさつをしたり、結構ドキドキの連続でした。何回やってもテレビに映るのは冷や汗もんですね。

写真をとってきたんですけれど、記事に貼り付けたら馬鹿でかくなってしまってダメでした。ショック・・・。まだまだブログの書き方が分かってません。勉強します。

ブログの題名について(8)

(続き)
いざ純米酒だけを造るぞ!と言ってはみたものの、初心者マークの杜氏にはいささか荷が重かった。今でもうまくいかんのに・・・。

通常のアルコール添加酒がメインとなっている酒蔵では、アルコール添加酒は、すっきりとたくさん飲めることが要求される普通酒になります。アルコールを添加することで、すっきりとした酒質が実現できます。そうなると、その蔵の純米酒の位置付けは、普通酒と違って、酸度が高めで、味のある、どっしりとしたタイプの酒ということになってきます。わが社もかつてそうでした。

しかし、毎晩の晩酌に飲むためにも、純米酒を通常の普通酒並みにすっきりとしたタイプとして飲ませなくてはなりません。ここに大きなハードルがあったのです。純米酒ばかりを造ってみて、アルコール添加しなければ純米酒になるといった、子供だましの造り方では到底太刀打ちできない代物であることを痛感しました。

これまでやってきたよりも更に厳密な製造管理が必要となる、ということは分かっていました。実はそれを見越して、それまでにある程度の設備投資がしてありました。それが私の経験不足を補ってくれたことは確かです。安い買い物ではありませんでしたが、「やっといてよかったー」とあの当時しみじみ思いましたね。

しかし、追求する姿勢というのは楽しいものです。ヘタと言われようが、マズイと言われようが、「どうしたらうまくなるのか」というただ一点のためにする努力のみで、一段一段階段を登れる気がします。全然まだまだですけどね・・・。

技術的なこと、設備的なことは突っ込めば多少の企業秘密も出てくるでしょうが、わが社の企業秘密なんてたかが知れているので、造りが始まったら蔵の中や造り方も紹介していきますね。

慌てて始めたようなブログだったので、とりあえずというつもりで書き出しましたが、結構長くなっちゃいましたね。
案外好きかも?
イヤイヤ、そんなこたぁないでしょう・・・。
次回はこのシリーズ最終回にしますね。
(続く)

ブログの題名について(7)

(続き)
もう一点、一職人として私にはアルコールの添加に関して我慢できない感情があります。決してアルコール添加酒の悪口ではないので、誤解しないで下さいね。

酒米を洗って、蒸して、麹を造るところから始まって、もろみをしぼって酒にするまでに、長いもので50日もかかります。全ての工程に人の手が入ります。餌こそやっていませんが、生き物を飼っているわけですから、常に面倒を見て、大切に育てるのです。

大吟醸ともなれば、手をかけて米を洗い、朝早くから蒸しあげて、寝ずの番をして麹を造り、朝に晩にもろみの面(ツラ)を眺め、まさに命を削って酒造りに没頭します。これはどの蔵の杜氏さんも蔵人も一緒です。

つまり、杜氏や蔵人や蔵元(蔵を経営している会社のこと)にとって酒は命だと思うのです。アルコール添加は通常はもろみをしぼる直前くらいに行います。命をかけて50日も付きっきりで育てたのに、自分の命と全く関係のない、どこかから運んできたアルコールなるものをドボドボと添加するのです。まだわが社でアルコール添加をしていた頃に、私の一番嫌いな作業がこれでした。

私の感度からいえば
「何てことするんだ!やめてくれー!」
ってなところでしょうか。

私はアルコール添加を否定しているわけではありません。それどころか、アルコール添加酒にはどうしても純米酒には作り出せない味の領域があります。「勝てねぇなぁ」と思うこともしょっちゅうです。名杜氏が少量のアルコール添加によって、味を整え、すっきり感を出し、香りを引き立たせる様はまさしく神業です。れっきとした現代のテクニックのひとつだと思います。

しかし、アルコール添加しなくても酒になっていることも事実です。私はこっちの方に賭けたのです。

日本酒の製造量のうち、純米酒の占める割合は1割程度のものでしょう。最近は純米志向が強くなってきているので、割合は上がっていくとは思います。自分のような駆け出しの杜氏でも、あまり多くは造られていない純米酒に特化すれば、純米酒では一歩先に出られるのではないかと考えたのです。

「それで純米酒はうまく造れたんですか?」

いえいえ、全然ダメ・・・
(続く)

ブログの題名について(6)

(続き)
これまでアルコール添加したお酒をメインに造ってきた会社を、純米酒しか造らない会社にするということは、並大抵のことではありませんでした。新しい会社を作るのと同じ感覚でしょうか。これまでのものがあるから、全く新しいものを作るよりもある意味で大変。もう2度とやりたくないですね。

平成14年8月に純米蔵の宣言をして今日に至っています。実際には宣言に至るまでに10年くらいかかっています。長い道のりでした。宣言をした後もいばらの道が待っていました。社員にも苦労をかけています。この辺のことはまた改めて書きます。

なぜ純米酒だったのか。

これを書き始めると、また長い話になりますし、このブログの命題の1つでもありますから、今後話題にしていきます。
簡単に言えば、原点回帰ということです。日本酒の需要は昭和49年をピークにして、ずっと右肩下がりで来ています。ピーク時の4割程度に落ちてしまいました。わが社でも需要喚起のために色々とアイテムを増やしてみたり、目先の変わった酒を造ってみたり、首都圏に売り込んでみたりとやってみましたが、全てダメでした。全てです。そのような状況の中で、新しいことばかり追求するのではなく、一旦日本酒の原点に帰って、そこからリスタートした方が遠回りだけれど確実な道に思えたのです。

日本酒の原点とは何か。それが純米酒です。戦前までは日本酒は全て純米酒だったんです。戦中の米不足の状況下でアルコール添加をして増量することが許されました。もう一度そこから始めてみようと思いました。スタート地点がずれていたのでは、ゴールにはたどり着けない。

経営的に言えば、徹底的に選択と集中をしたということでしょうか。力を1点に集中させる。大手のメーカーがやっているような品揃えをしてもダメなんです。

ある飲み屋があります。ほとんどのお客さんはその店であるつまみを注文します。それは「つくね」です。店主は言います。
「このつくねさえあれば、おれはどこでも店が開けるよ。女房と従業員くらいは食わせていけるさ」
うらやましいと思いました。
「この純米酒さえあれば従業員くらい食わせていけるさ」
そんな酒を造ることができれば、経営環境に左右されない王道が歩めるのではないかと考えたのです。

考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで、ついに純米蔵の道を歩み始めます。
(続く)

ブログの題名について(5)

(続き)
あのくらいの弾みがなければ、私は今頃杜氏なんかやっていなかったかもしれませんね。

あんなハプニングはないにしても、もう杜氏の後継者なんていないと思った方がよいでしょう。ここで言う杜氏は、出稼ぎで蔵に泊り込んで働くような昔ながらの杜氏のことです。だから、蔵の後継ぎがそのまま杜氏役をやっている例が、私の周りにもたくさん出てきています。

専務取締役杜氏なんていうのは私の造語ですが、専務で杜氏、あるいは社長で杜氏という人が今後増加するのは間違いありません。ある程度の規模の会社になれば社員の中から杜氏を養成していくことになります。そういう蔵も多いです。しかし、うちのような小さい蔵ではそれもままならず、専務がやった方が早いということになってしまいがちです。

製造と経営の2足のわらじをはけるのかどうかはやってみなくては分かりませんが、昔読んだ、あるインタビュー記事を思い出します。それはある人間国宝の陶芸家のものでした。

「どんなにいいものを作っても、それが売れなければ食べていくことはできまへん。作ったものが売れるようにしなくてはなりまへん。職商人(しょくあきんど)になんなはれ」

なんか変な京都弁になってしまいましたが、こんな感じでした。お名前は失念してしまいました。この職商人という言葉がなんとなく心に引っかかっています。これほどまでに日本酒が売れなくなり、蔵の規模も縮小してしまうと、小さな地酒メーカーの生き方も限定的になってしまうのかもしれません。

しかし、悪いことばかりではありません。経営者が酒を造るということは、結構思い切ったことがやれるということでもあります。雇われた身となれば失敗は許されませんし、ある程度の足かせの中で酒を造らなければなりません。ところが経営サイドから見ることができれば、ぎりぎりのリスクを背負っての挑戦ができるかもしれません。

案の定、この専務取締役杜氏もとんでもないことを言い出したのです。

「おれは、純米酒しか造らん!」
(続く)

ブログの題名について(4)

(続き)
杜氏も私も必死で説得しました。詳しくは書きませんが、確かに理由はいくつかあったようでした。しかし、その全てが身勝手で納得のいかないものでした。仮にも杜氏を引き受けようとする責任感や度量の持ち主の言葉ではありませんでした。

悪いことに、その日は社長が出張で留守の夜でした。連絡もとれず、そのうちに息子さんが迎えに来てしまって、ほとほと困ってしまいました。たぶん社長のいない日を選んでいたのでしょう。

私は説得をあきらめました。というか、造りが始まってしまっているこんな時になって、しっぽを巻いて逃げ帰るようなことをする人に杜氏なんてできるわけはない。今ここで出ていってもらった方が会社のためだと思ったのです。口では何とか思い留まってくれと言いながらも、頭の中では杜氏不在の酒造りをどうしたらよいのか、妙に冷静に考えていたことを覚えています。

そして、私は初めて社長の決裁なしに会社の重大決定を下しました。

「分かりました。お酒は僕らで造ります。お帰り下さい。」

自分が杜氏になるんだ・・・決心した瞬間でした。

その年は大変でした。前杜氏は一度新潟へ帰り、きちんとした準備をしなおして、私が後を継ぐという前提で最後の勤めをしてくれました。私も学べることは全て学ぶつもりで、必死で彼の職人技を習得しようと心がけました。大学で醸造学を学んだわけではない私の造り方は、全て前杜氏に教わったものです。それしか知りません。

しかし、生き物と対話していかなくてはならない酒造りは、多分に経験工学的な部分が多くて、習うより慣れろです。今風に言えばOJTということでしょうか。それまで8年間の下働きでは杜氏としては役不足でした。それでも何でも、とにかく次の年から私は杜氏役をやらなくてはならなくなったのです。

造りが終わって、前杜氏を新潟まで送っていった時に、奥さんが「この人に何かあったらと思うと心配で心配で・・・」と涙を浮かべて私に訴えました。もうこの杜氏を呼ぶことはできない。私は改めてその事実を認識したのです。

こうして、専務取締役・杜氏のいっちょ出来上がりとなりました。自分にとっても、会社にとってもこれは大冒険だったと思います。
(続く)

駒ヶ根市商工祭り

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続き物を書いている途中ですが、タイムリーな話題も必要だと思いますから、今日の話題を書きますね。昨日・今日は駒ヶ根市の商工祭でした。

ひと昔前と違って、商工祭といっても今はなかなか人が集まりません。商工会議所の人たちも努力していて、子供向けの出し物や、無料の芋煮汁など企画もいろいろです。

そこでの企画のひとつというわけではありませんが、毎年この場が駒ヶ根市内の小売店用の特別ブランド「純駒」の発売発表会になっています。限定1000本で、この日本酒が売れない時代に、一升瓶1000本が1ヶ月で売切れてしまいます。ありがたい事です。精米歩合55%の特別純米酒で、評判は上々です。

この「純駒」の発売は3年前からになりますが、その誕生には今の酒類販売の現状が複雑に絡み合っています。ご存知かと思いますが、酒類の販売には免許が必要です。税務署に申請して許可されなければ、お酒は販売できません。しかし、当時の小泉政権の打ち出した規制緩和の一環で、免許を出す際の基準が大幅に見直され、最低レベルの要件を満たせばほとんど免許が下りるようになったのです。

距離基準といって、近所の酒屋とある程度以上の距離が離れていないとダメだとか、人口基準といって、人口何人に何件の割り当てだとか・・・。昔は酒販免許は簡単にはもらえなかったのでした。その分酒販店は免許に守られた業界で、悪く言えばあまり努力せずにもうけが上がっていたのです。

そして改正法の施行前に、一気に免許数が増えるとそれまでの小売店の経営が危ぶまれるような地域には、税務署が1年間の猶予期間を与えました(実際には駒ヶ根市は2年間)。その代わり、その地域の小売店には各個店活性化のための事業計画が課せられたのです。その事業計画に盛り込まれたのが「プライベートブランドの開発」だったのです。それがこの「純駒」になりました。

長々書きましたが、今後は誰でも酒が売れる時代です。どの様なやり方で、どこへ酒を売るのか、これまでの延長線上には答えはないのでしょう。この地域の小売店さんたちと一緒に考えていかなくちゃ、と売り子をしながら考えていました。「純駒」が案外と好調に売れるので、小売店さんたちも何か仕掛ければ日本酒も売れるようになるかもしれないという感触はつかんでいるようです。

個人的には、飲酒運転がこれだけうるさくなり、未成年飲酒の問題もクローズアップされる中で、免許をどんどんと出すという方向には疑問を感じます。他の先進国の中で、こんなにどこでも酒を売っている国はないそうです。

話はそれますが、小泉さんに代わって阿部さんが総理になりましたね。戦後生まれの若い総理で、自分と10歳も年の違わない人が一国の舵取りをしているなんて、何とも不思議な感じですね。「俺は何をしているんだろう」なんて思ってしまいます。

ブログの題名について(3)

(続き)
そうして、その年の造りは、何かこれまでと違ってしっくりしない感じはありましたが、順調に始まったかに見えました。

前杜氏と杜氏候補が新潟からやってきて、入蔵祝い(蔵人が全員集まってこれから造りが始まるというお祝い)も済み、製造計画を立て、杜氏候補にも徐々に仕事の流れを説明しながら、米洗いや蒸しの作業も始まりました。

その間、その新しい杜氏候補を見ていて、あまり他の蔵人とは積極的には交わらないタイプの人なのかなという点は気になっていましたが、仕事ができないことはないだろうという感じは受けていました。

そして、その日は来ました。

本格的にいろいろが動き始めて1週間ほどたった夕方のことでした。杜氏候補が私と前杜氏に集まってほしいと言ってきました。何だろうと思い食堂にいくと、杜氏候補は下を向きながら切り出しました。

「専務さん、今日で会社を辞めさせてほしい・・・」

「へ?」

「もう辞める準備はできとります・・・今日これから息子がここまで迎えに来るようになっとります・・・」

「は?」

青天の霹靂、寝耳に水、泣きっ面に蜂、もう滅茶苦茶。
(続く)

ブログの題名について(2)

(続き)
そんな造り酒屋にも時代の転機が訪れました。

もう杜氏の後継者なんていないんですね。農家といっても兼業農家ばかりになり、出稼ぎなんて死語に近い。各地の杜氏組合も縮小の一途だと聞いています。

そんな中でわが社の杜氏も年をとり、体調も万全ではなくなってきました。杜氏が自分の知人を当たってみたり、越後杜氏の組合等にお願いしたりしましたが、いい人は簡単には見つかりませんでした。

蔵で造る酒の全てを任すのですから、誰でもいいというわけにもいきません。それに、この杜氏は40年以上もうちの蔵で働いてくれていて、技術もピカイチでした。後継者がそう簡単に現れるはずもありませんでした。

ちなみに、杜氏という職業には別に免許があるわけではありません。1級・2級技能士という国家資格はありますが、これをもっていなければ杜氏ができないわけではないのです。私も持っていません。

私は平成2年に家業に入るやいなや蔵に回され、初めから造りの仕事をおぼえさせられました。それまで10年近く蔵人をやっていて、杜氏の後継ぎがいなければ自分がやるしかないのかなとうすうすは考えていました。やってみたい気持もどこかにありました。しかし、自信があるわけではなく、現実味はありませんでした。社長をはじめ、本気で考えている人はいなかったでしょう。

そうこうするうちに、杜氏は自分の家の近くから新しい杜氏候補を見つけてきました。こちらとしては不安もありましたが、経験もあるということで、その人にお願いすることになり、ひと安心しました。その年は前杜氏と杜氏候補2人体制で造りを始め、徐々に新体制に移行しようと計画したのです。

しかし、造りが始まったとたんに、事態は予想外の方向にいってしまいました。
(続く)

ブログの題名について(1)

このブログの題名についてお話します。

一昔前まで日本酒の作り手というのは、皆さんご存知かと思いますが、杜氏(とうじ)を中心とした季節雇用、つまりは出稼ぎの人たちでした。遠方からの出稼ぎではなくても、地元の農家の人たちが半年間だけ来てくれていたりしました。わが社には新潟の杜氏(越後杜氏)が何人かの子分衆をつれてやってきていました。(彼についてはまたそのうちにお話します。)

昔はその年の米がどのくらい取れるか不確定で、毎年の酒造量というものが安定しなかったらしいです。そんな状況での雇用確保という面では、その年毎に人数を変更したり、給与に幅を持たせたりできる季節的な雇用は、雇う側からみれば非常に柔軟なシステムだったという話を聞いたことがあります。

反対に雇われる側から見ても、主に雪の多い地方に住む農家が、農閑期に住み込みで働いて、技術がついてくれば給料もある程度稼げる造り酒屋への出稼ぎは、家族と離れ離れになることを除けば、割のいい仕事だった様です。

また、越後杜氏、南部杜氏、丹波杜氏、能登杜氏などと呼ばれる杜氏集団が、自分たちの伝承の技を外へ漏らすことなく受け継ぎ、その人たちでなければ酒を造ることができない状況で、自らの雇用の確保に対するアドバンテージを維持していた構図もあったでしょう。

そう考えると造り酒屋というのは、メイキングの核心部分を自社内に持たない変なメーカーだったわけです。
(続く)

たった1日のブログ考

たった1日だけブロガーになって思ったこと。

実は10月1日は、朝早起きしてこのブログを立ち上げてから、家族3人で安曇野のいわさきちひろ美術館へ行った。
http://www.chihiro.jp/azumino/top.htm

職人や芸術家の仕事や作品を見るときには、いつも自分の仕事と重ね合わせて見ている自分がいる。
この日も
「こんな挿絵のような水彩画でも極めれば美術館ができるんだ。純米酒も極めれば何かになるかな」
とか
「この絵の具のぼかし方は対象を見抜く眼力がなければ成し得ないだろうな」
とか・・・。

いつもならぶらぶらと見て回っておしまいなのだが、この日は少し違った。その時々で感じることを「こんなことブログに書けば面白いかな」なんて考えているじゃないか!
何とも今までにないうっとうしさだ。

それじゃあ、ブログを続けている限りずっとこんなこと考えてなくちゃあいけないのか?

・・・少しうんざりしかけたが、そういう精神的な緊張が物事をこれまでより少しクリアに見せているということにも気が付いた。

そして、酒の造りの期間は寝ても覚めても麹やもろみのことばかり考えているのに、それが過ぎると何か腑抜け状態になっていることにも・・・。

一職人としてではなく、経営者として常に考えていなくてはならないこと。
それは当然信濃鶴の売上のことだろう。このブログを書くことが売上に直結するとは思わないが、考え方を伝えて、理解してもらうことはできるだろう。それがひいては信濃鶴の、また日本酒の売上につながっていくことは期待できる。

そんなことをこのブログを書き続けることで、常に意識できればいいのかなと思い直した。
「まあ、ブログもそんなに悪くはないか」と1日目にして思ったのであった。

ブログ記念日

今日からブログなるものを始めようと思う。
期せずして10月1日は「日本酒の日」、それに大安だ。日がいい。

本心からブログを書きたくて、やり始めるのではないところがチト悲しい。
文章もうまくない。三日坊主は目に見えている。

「お前が書くこともあるかも知れんぞ!」
女房にも言い聞かせた。でも女房はブログなんて知らない。
「お父ちゃんにブログなんてできるわけないじゃん」
娘にまで言われた。

ここで一句
みんながやれやれとうるさいから 今日はブログ記念日
いやいや
みんながやったらいいよと言ってくれたから 今日はブログ記念日
俵万智もどき・・・

WEB2.0のWAVEに乗れるか。

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